現在までの軌跡

山との出会い

     
百小竹の 三野の杣道 峠道
         御代も変わりて 今我通わん     (百小竹:ももしの)
   

    以前、アマチュア無線にはまっていたころ、50MHzの電信で活動している局がいなかった
    美濃市から移動運用しようと思い、5万分に1の地形図を見ていると片知の奥によさそうな
    場所を見つけさっそく出かけました。
    いまのトイレのある場所ですが、ここでアンテナを建ててQRV(無線局を運用すること)しました。
    そのうち、瓢ヶ岳の案内板があるのに気がつき、今度はこの山の上からQRVしたくなりました。
    そして、いろいろ用意をして、下見の為にいざ登ってみると、これがすばらしい。
    そして今では、無線のことを忘れ美濃の山に通っています。
    倒木をくぐり、谷を渡り、ヤブをこいで尾根に出て、これをどちらに行くか、パズルを解く
    楽しさがある。ちょうど町中の交差点で、いつもは左に行くのに、今日は右に行って
    「アッ!こんな所に出た」と言う感じである。
    そして、時々はそこがどこなのか分からないということもあるが・・・

参考資料    
    87年山歩きを始めたころは「名古屋周辺ワンデーハイク」に記載された山々を登っていた。
     また、フクベのように以前から知っていた山にも行った。
    88年春「奥美濃 ヤブ山登山のすすめ」が刊行され、奥美濃に入り始める。
    89年5月に登った小秀山は雑誌に紹介された山だった。
    90年に故酒井先生の「飛騨の山々・ヤブ山編」が刊行されるが、行ける山はなかった。
    92年に「飛騨の山々・国境編」が刊行され、この本を参考に東濃の行くようになったが、
     それまでは大半がリピートだった。
    93年「続・ぎふ百山」が刊行されるが行ける山は増えなかった。
    95年夏「名古屋からの山旅」「隠れた名山」の刊行で奥美濃では行けなかった山山に
     行くことができるようになった。
    95年末にJACの「山旅徹底ガイド正・続」が刊行され、この地域に登れる山が、
     まだまだ、たくさんあることが分かった。
    96年、究極の大垣山岳協会「美濃の山・第一巻」が刊行され、97年「第二巻」98年「第三巻」
     が出て、わたしでも登れる山がまだあることが分かった。
    2000年5月にインターネットに接続してからは、いろいろな方のページを参考にしている。

    わたしにとって「奥美濃・ヤブ山登山のすすめ」は永遠に美濃の山の聖典といえる。

市町村の合併について
    総理府だか、自治省だかが合併をすすめているが、それに付いての意見は持っていない。
    ただ、例えば本巣市の場合、本巣町と根尾村ではあまりに広く、谷が一本違えば習慣も
    違うと言われる美濃では現実的な呼び名とは思えない。
    よって、リストについては新市町名と旧市町村名を併記し、記録においては旧市町村名を
    優先して使う。

    追記(2006年7月23日)
      新市町名はかなりなれて来たので、本日以降は旧町村名は使わずに***地区と
      表記する。 

    

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