高沢山⇒大仏⇒見坂峠

高沢山 354m 旧武儀町 2005年5月4日

連休中なので遠出は敬遠していたが、ホームページの為に記録を整理していて思い出し、

高沢山へ行った。1998年2月に美濃市の古城山から遠望して気になり、その後

1999年1月に行った見坂峠から大仏(記録では見坂峠南434.5m峰)。そこで見かけ

た十四番から二十番の観音菩薩の石仏。当然三十三番は日竜峯寺にあると思うが、一番が

どこから始まっているか。これを確認する宿題を片付ける為に出かけた。

【往路:駐車場−20分−高沢山−50分−大仏−25分−見坂峠−55分−口野々】

 【復路:口野々−2時間5分−日竜峯寺駐車場】

ルート概念図

日竜峯寺の駐車場に車を置いて、鐘楼・多宝塔の前を通り本堂に向かう。本堂で観音菩薩に

ごあいさつをして、裏手から見坂峠に向かう。くもの巣の歓迎をうけ、三十番の観音仏に

出会う。二十九番松尾寺の石仏の横に踏み跡があり登ると高沢山山頂に出る。

 高沢山山頂 展望

北側が切れ落ち、意外にいい感じの山頂。高賀山群・平洞の山並みが展望できる。

時間があればここで食事にしたいが歩き始めて20分。まだ先は長いはず。

順番通りに石仏が並んでいる。二十一番の石仏から見覚えのある踏み跡があって入ったが

これは違っていた。中電の職員も間違うのか、反射板の標識がありまだ先との事。

もう少し行くと反射板の標識があり、点名大仏に着く。

何とフェンスは二重になっている。以前は外側のフェンスは無かったと思うが。

ここまでにはCD板の道標があり、それには「大仏山」と書いてある。ここは点名が大仏で

あるが、山名は大仏山なのだろうか。現地名が大仏山なら別段問題はないが・・・

また1つ、「大仏山」と書かれたCD板だ。ビニールヒモですら山のゴミになるのに

CDとは。などと硬い事を考えながら見坂峠に下りた。

峠の地蔵菩薩6年ぶりの峠は以前と同じ、天明二年の地蔵菩薩が

待っていて下さった。ここまでに、十四番までの石仏が

あり、美濃市側に下ると十三番の石仏がある。

樋ヶ洞の入口には七番の石仏があった。ここから新しい

車道を行かず南側のかなり古い道を行った為、五番・六番

を見落としてしまった。車道にもどると三番・二番がある。

古い車道が南側にあり、入ってみると2体の石仏があったが

風化していて文字が読めない。一番を探して、とうとう

古城山の見える口野々まで来てしまった。

草刈をしているおじさんに聞いてみると「わからん」との

返事。と思い出したよう「あの家で聞くと良い、あの家の人が建てたんだで」と教えてくれた。

その家の方に聞くと「道を造る時動かして、息子なら分かると思うが・・・」

今は不在との事。その方の曰く、昔は暮に筒(花を生ける)を持って、峠とお寺の両方から

手入れしたと。

帰路、車道を行くと樋ヶ洞の入口の七番までに計6体に石仏を確認した。と言う事は判読

できない石仏の中に一番があるということか。

また、十九番がないと思ったら、往路では気付かず通り過ぎたみたいだが倒れておられ、

起こしてあげた。三十一番・三十二番も往路では気付かなかった。

三十三番谷汲山華厳寺の観音さまは本堂の裏に鎮座されていた。

石仏には文化九年とあり西暦1813年になる。峠の地蔵は1782年。200年前の観音像

にしてはあまり風化していない。でも、峠の地蔵さんは観音像よりはるかにきれいに見えた。


美濃一人山名録05高沢山