ほほえみの湯駐車場から望む城山
城山 462.2m 関市上之保地区 2007年6月26日 地形図「金山」
【登り】P9:55−道に出合10:20−山頂10:50
【下り】山頂11:10−峠11:50−?−峠12:20−P12:30
《国土地理院のホームページ》
最近、基準点成果等閲覧サービスのデザインが変わり、三角点の内容が見やすくなり、それにつられる様に紙の地形図を見るようになった。
紙の地形図には数値地図に無い魅力がある。それは手書きで自由に書込み、地形図を使っているという事を実感できるからかもしれない。
そんなある日「美濃川合」で城山が目に付いた。その南には女夫山という山もある。
《当日の朝》
昨日の雨が乾いてから歩こうと思うと、どうしても出発が遅くなる。
そうすると近場で、その上に道があるほうが良い。
城山にしようとGoogleで検索してみると、「御岳が見える里山」さんのページがヒットした。道もあるらしい。
《上之保松本の登山口へ》
県道58号で高沢観音への分岐、平成山への分岐を通過して、県道63号へ左折する。
まずは山の写真を撮ろうと上之保温泉「ほほえみの湯」へ向かう。青空を背景に女夫山がきれいに見える。どちらも同じくらいの大きさで夫はどちらの山なのか。もちろん城山も見え、山頂にはアンテナが確認できた。
63号に戻り日本教本部の立派な門の前を通り右カーブの所から橋を渡って松本の集落に入る。
集落内を一番奥まで行き、凝ったデザインのえん堤の下に駐車した。そこで初めてHPの中で登山口を確認していないのに気が付いた。
県道63号宮元集落北から望む女夫山 伊山洞谷砂防ダム
《山頂へ》
雨上がりのカンカン照りで蒸暑く、ドクダミのにおいにむせ返っている中で身支度をする。
とりあえず車道が上がっているのでこれを行くとえん堤の上部付近で終点になるが道が続いている。
すぐに墓地があり行き止まりに見えたが右脇をかすめて道は続いていた。HPには墓地があるとは書いてなかったのでこれが峠道ではないと思うが、道があれば良しとして進んで行く。
左山で小那比川の川音が近くに聞こえる。
道は段々怪しくなり、沢の手前で消えてしまった。少し手前に斜面を登る踏み跡があったのでこれを登ると大岩があり、乗り越えると尾根の上に出た。
この尾根が峠から続く尾根かと思ったが支尾根のようだ。更に進むと道に出合ったが、このT字路の角には1mくらいの鉄のアングルが打ち込まれていて、ここから先はこのアングルが案内してくれた。
次の岩場からは山頂が望まれる。
東からの尾根が合わさると植林が現れる。北側は植林、南は二次林で、その木間越しに宮野の谷の奥で何か地面を引掻いているのが見える。
高低差の無い尾根道を20分も歩くと最後の登りが始まり、北尾根に上がり左折すると山頂だった。
《山頂にて》
NHKの中継施設や共聴アンテナがあり、電柱は南の尾根上に続いている。
NHKの施設の周りには大きな蜂(?)が3m間隔でホバーリングしていてテリトリーを主張しているらしい。
人間がその中に入っても威嚇はしないが気分が悪いので、少しはなれて食事をした。
点の記によれば、この三角点は平成14年再設の新しい標識だが現物を見たのは初めてだった。
三角点周辺 標石 国地院のカンバン
《下山、峠から女夫山へ》
早々に下山にかかる。登りでは気付かなかったが、岩場からは南東方向に岳山が大きく見えた。そして登ってきた支尾根の出合を通り過ぎて峠に着いた。
峠には石仏と手作りの案内標識があり、石仏は地蔵菩薩で「元禄二」と刻まれている。
大岩から望む岳山 峠の石仏と案内標識
さて、ここからは女夫山を見に行こうと標識の和田野天神山の方に向かった。赤いビニール紐と青いビニールテープが付けてあるが、しっかりした道が続いている。
鞍部に着き前方の斜面が女夫山には間違い無いが踏み跡の無い植林を歩く気がせず赤いビニール紐に導かれご夫婦の間に入ったがテープも無くなり踏み跡も消えた。
もう一度鞍部に戻り右手の踏み跡に入ってみたがこれもテープ共に無くなってしまった。
「どうしても登っておこう」という気にならず、ヤメにして峠に戻った。
《峠から松本の集落へ》
何所へ出るのかを楽しみにして掘れ道を下って行くと民家の屋根が見え、右手の竹やぶから竹が左の植林の中に侵入している。
畑から車道に出るとえん堤の10mほど下で、小さいけれど登山口と書かれた案内もあった。これは見落としても仕方ないなどと思いながら炎天下で着替え、帰路に付いた。
《山名とは》
この山の三角点は「点の記」では「しろやま」となっているが、山頂の山名標には「JOH YAMA」とあり、のんき君も「じょうやま」とされている。
ここでは山名標を作られた方に敬意を表して「じょうやま」とした。
蛇足ながら最近、点名に「山」を付けたり、長年言い習わされている山名に「岳」を付けたりされているのを目にして、少々複雑な気持ちになっている。
酒井先生が「橋ヶ谷山」とされたのは取材された上での事で、また「ロクロ天井」は歴史的背景を感じさせる絶妙な命名と思っている。
とは言え、僕も「地名+点名+山」を山名としたページを作った事があるが・・・・・
(平成19年6月28日に書換えました)