高丸

高丸 1316.3m 揖斐川町坂内地区 2008年10月31日 地形図「冠山

ルート地図
【登り】P8:00−谷から尾根(ヤブの始まり)9:05

                 −南北尾根出合10:50−山頂11:40

【下り】山頂12:00−P13:55

《高丸について》

10月18日に3人(本当は3.5人、0.5人については後述)、翌19日には13人の方が登られ、今がチャンスですとのメールを「岐阜百山を楽しむ山歩記」の管理人のyamamotoさんから頂いた。
WEBで知ってはいたが改めて心が動いた。

池ノ又の林道は12.8Kmと長いが管理がされている。旧道の303号は
砥谷出合まで2.4Km、こちらは通行できるか保証がない。
迷った末、今年の秋の坂内村遠征は高丸に決めた。

山名については、高木泰夫氏著「奥美濃」には『黒壁(高丸)』となっていた。所が月日が流れ「三訂 奥美濃」では『高丸(鳥ヶ東)』とされている。
師が「高丸」とされた以上、教徒としては「高丸」を採用した。

《登山口駐車場へ》

乙原トンネルを出ると飯盛山のあたりからガスが流れ込んでいた。以前、タンポに行った時にも、こんな光景を目にしている。その時は快晴になったが今日はどうだろう。

天狗山は湖面から100mくらいまでは雲の中、更に、湧谷山は麓から50mくらいしか見えない。所が、トンネルを抜けると大草履から北では稜線が見えるようになった。池ノ又の林道に入ると薄日さえ射して来る。

先客は女性の方が1人みえて、夜叉ヶ池の方へ歩いて行かれた。

《山頂へ》

詳細地図以前、東屋が有った所からテープに導かれて入山。最初は斜面をよじ登り、そして小尾根に出て進むと鞍部があり、その先でピンクのテープを見失った。

当然、尾根に上がるものと思い、尾根に登ったが酷いササヤブ、元に戻り谷にテープを見付けた。
(HPでチェックしていなかった)
しかし、こんな微小地形を読み込んで山を歩く事は不可能だ

そして、谷が終わると1000mくらいからヤブが始まる。
ササにリョウブ、その他知らない木々。ササヤブの瞬間値は三国山(美・飛・信)の体が宙に浮く程ではないが、その長さにうんざりする。

1100mくらいでトラバースする箇所でも尾根に上がりかけて苦労した。
1200m付近で尾根に出合うがここからは少しの間踏み跡があり、こちらの南尾根が昔はメインルートだったのだろうか。
92年頃までは今の鳥居の所が林道の終点だったので、この付近から1016mを通ったのかもしれない。

  夜叉ヶ池方向 本日の唯一の展望:夜叉ヶ池方向

山頂丘にかかろうとする頃、ガスが流れだし、細かく目印を付けた。そして山頂、何も見えない。

 標石   山頂風景
              標石                                   山頂風景

 何も見えない     何も見えない
            何も見えない                                何も見えない

《下山》

あまり食欲がなく、おにぎりを1つ食べたら、あとはやる事がないので早々に下山。早速1250m付近で道を見失った。更に1200m付近の下降点は厳重に目印を付けたのに、これも行き過ぎた。

かくして、懐は回収した紙テープで一杯になり、今日の成果は1巻分の紙テープのゴミと、未登の山が1つ減ったと言う事のみ。

《感想》

全コースにピンクのテープ(少し古い)と赤布が残置されていた。地形を読んで尾根を登る事は僕には100%不可能なので、細かなルートを教えてくれるこれらのマーカにはお世話になった。

以前に滝波山ではササヤブの中をトラバースする箇所に紐が延ばしてあり、これにも助けられた事を思い出す。

果たして、テープ類の残置は絶対にいけない事なのか・・・・・ ふと疑問に思う弱い自分がいる。

また「御岳が見える里山」さんが飯盛山のあとがきに書かれている「下りにはコンパスがあまり役に立たない」と言うのには、大いに同感する。ましてヤブの中では10度20度ずれても皆目分からない。
今回は地形を見ず、ただただマーカを追うだけの山歩きだった。

それにつけても兎夢さんはすごい。沢から来て、尾根を下る。ピストンでも道を失うのに。谷に下りても
下山出来るという自信のなせる技か。

それに、何時もさらりと書かれているので簡単に思えてしまうが
「山の日記(http://www.h4.dion.ne.jp/~mayoneko/)」さんの池ノ又谷から三周・高丸、そしてオオイワ谷下降(07/06/03)も、そのすごさを今日改めて実感した。



美濃一人山名録08高丸



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