七宗山

水源の森付近からオク高ヤ
水源の森付近からオク高ヤ

七宗高山(の内 松尾 700m)  オク高ヤ 605m 

                           七宗町 2008年4月19日 地形図「金山」

ルート地図【時間】 ゲート8:25−林道分岐9:00−林道終点9:30

  −オク高ヤ9:45〜10:15−歩道入口11:10

  −松尾11:40−林道出合12:05−ゲート12:40

《七宗権現と七宗高山》

先日「みのかもから山歩き」さんからご教授をいただき、基本的な間違いに気が付いた。

それは、七宗町命名の元になったのは七宗権現であり、
「七宗御留山境界絵図」の七宗高山とは別のものであるという事。(実を言うとそこまで深く考えていなかった・・・)

とすれば七宗山は当然七宗権現の七座でなければならない事になり、重複している山もあろうが今回歩いた松尾を含めて「七宗山」と表記していいものか。

七宗権現の七座の内、大槻山・水晶山・金ヶ岳は明らかに七宗高山ではなく、残り四座も七宗高山に含まれているとは断定出来ない以上、「七宗山」の表記は訂正しなければならないが・・・・・

しかし、「七宗町史 史料編」を見ると太田代官所の管轄している山(御留山)を七宗山としている。よって過去のページは現行のまま「七宗山」と表記し、七宗権現と七宗高山との差異を明記する為、下記の一文を各ページの本文の冒頭に置く事とした。

七宗町の命名の元になった七宗山は七宗権現七座であり、ここで言う七宗山は「七宗御留山境界絵図」に描かれた七宗高山七座を言う。

今日の目的》

七宗高山の内の七座目の松尾を見、合わせてオク高ヤの山頂を踏みたい。そして大畑山の位置を特定する為に白川町勘八(住所は坂の東)に行き、大畑沢を確認して山名の聞取りもしたい。

《柿ヶ野》

この集落は戸数10戸くらいで七宗山の山守多々羅氏の住居があった。それでなのか、集落内に蔵が2・3棟見える。しかし住所としては隣の集落の大柿の一部とされ、悲しいかな地図にも表記が無い。
ただバス停の名称には柿ヶ野が使われている。

《オク高ヤへ》

いつものようにゲート前に車を置いた。今日は黒谷林道の入口にはクサリで車止めがしてあるが、この黒谷はしらかわぐち駅付近で飛騨川に出合い、絵図にも「黒谷」と書かれている。

菅田大柿林道の2番目の分岐で地道の林道に入ると境界標石があり、国有林の境界はおおむねこの林道に沿っている。林道終点から尾根に上がると最初の鞍部から境界は橋谷へ下って行く。

ここからは黄色いクイが案内してくれるが少々複雑、その上に踏み跡が交錯いていて頭をフル回転させ風景を記憶する。そして山頂。

 林道分岐   オク高ヤ山頂
              林道分岐                               オク高ヤ山頂

《オク高ヤ山頂》

期待した祠は無いが展望は意外に良くて岐阜市 名古屋(2008/4/30訂正)の市街地が遠望でき、近くでは41号線が俯瞰できる。鬼越峠から麻生高ヤの稜線がくっきり望まれ、目を転ずれば橋谷を挟んで水源の森が見えた。

 国道41号線   麻生高ヤと鬼越峠
             国道41号線                             麻生高ヤと鬼越峠

そして山頂丘の南の端には人工的な石積みがある。黄色いクイは南の尾根を下って行くが大柿に行くのだろうか。もし大柿から登ってくれば祠が出迎えてくれたような気がする。

 石積み   南から見る山頂丘
              石積み                               南から見る山頂丘

《松尾へ》

支林道の途中にある標高点607m峰も見に行ったが、こちらは桧の植林の中の凡庸なコブでとても山には思えなかった。

林道出合を左折し100mほど先の歩道入口から松尾を目指した。古い植林と新しい植林(15年生くらい)の境を歩くが除伐された木々が道をふさいでいる。少し我慢すると尾根に出合ったがここからも同じような状況が続いた。

 歩道入口   植林の境界
              歩道入口                               植林の境界

でも徐々に展望が開け、左から麻生高ヤ・イバラダワ、麻生本谷を挟んで眼下には丸山、そしてケヤキ谷(現在の地名)の奥には大畑山が見える。そして暫定松尾が見えてくるが、意外ととんがっている。

 左手前は丸山 右奥は大畑山   松尾
         左手前は丸山 右奥は大畑山                             松尾

《松尾からゲートまで》

松尾の山頂は潅木と切り株だけで、早々に下山する。尾根を東に向かったが岩のガケで行き止り、適当に南に向かい植林の中を下ると歩道に出合った。これを左に行くが一向に下って行かない。

その内に尾根が近くなり上がってみるが歩きにくそうなので歩道に戻ると、ようやく下りだし、林道出合は入山地点の一つ手前(ゲート寄り)の歩道の入口だった。ここから境界を戻ろうとも思ったが面倒になり林道を歩きゲートに着いた。

そして車に乗り込み勘八へ向かう。

《勘八で聞取り》

集落の前を徐行しながら、行ったり来たり。バス停から少し南に車道が見えたので、更に南の国道の路肩に車を置いた。

その車道は高山線の線路をくぐっていて橋脚には「大畠川(おおはたがわ)橋りょう」となっている。字は違うが音は絵図と同じ「おおはた」だ。

まずは一軒目、70歳くらいの男の方が出てみえた。谷の奥の山名を聞くと分からないと言われたが、その辺りは「おおばた」と言い、山名ではないと言う。

2軒目は40歳前後の夫婦で分からないと言われたが、奥からおばあさんが出てみえ「おおばた」で山名ではないと言われた。

3軒目では40歳代の男の方だったが分からないとの返事が返って来た。
結局、山名はなく、大畠川の奥は「おおばた」との地名があった。

これらにより絵図の大畑山は点名熊之島と推測できる。

しらかわぐち駅の辺りからは確かに山に見えるのだが里人にとっては山全体が生活の場であり、山頂に名前は必要ないのだろう。しかしその山の地名も今消えようとしている。

 高山線の橋脚の看板   しらかわぐち駅付近から点名熊之島
           高山線の橋脚の看板                      しらかわぐち駅付近から点名熊之島

ちなみに一本南の谷の名称は、笹ヶタワ林道の分岐の先に町有林の看板があり岩倉谷と確認でき、絵図では大イワクラとなっている。

大畑沢付近の絵図の概念図はコチラ

七宗高山の詳細地図はコチラ

《感想》


御留山の半分くらいを歩き、先人の営みの跡を探したが所詮は車道歩きになり何も見えて来なかった。
また七宗高山七座の現在位置を特定したところで何も見えて来ない。
こんなくだらない事がたまらなく面白い。


注:絵図とは「七宗御留山境界絵図」を言い、山名等はこれによる。



美濃一人山名録08>七宗高山(松尾)



枝林道で足をくじいた