湯の洞山

2011年4月3日誕生山北尾根177番鉄塔から
2011年4月3日誕生山北尾根177番鉄塔から


ろ山
(ろさん) 258m  湯の洞山 500m 美濃市 2011年12月22日 地形図「美濃


        

【時間】

広場9:47−取付き9:52−ろ山10:15−南峰12:20〜12:35−湯の洞山12:45〜13:00

−渡渉14:10−広場14:37


《今日の予定》

巡視路で76番鉄塔に行き、その尾根を東進して湯の洞山。分水尾根を下って、ろ山に行き、後は適当に
片知に下ろうと思っていた。

ちなみに、湯の洞山の初見は「みのかもから山登り」さんのホームページ。
また、時間が許せば、陽屋院から点名蕨生にもいってみよう。


《片知穴洞にて》

まずは穴洞の集落に入る。ちょうど橋を渡った所に男の方がみえ、北に見える格好の良い点名蕨生の
山名をお聞きすると、「ジョーヤマ。ジョーヤマと言っている」との事。「城山と書くのですか」の質問には
「そうかな〜??」

「ろ山」に付いて聞くと、「ロヤマ???」。地図を見てもらうと「ロサン」と言われた。

                  片知穴洞から望む点名蕨生
                          片知穴洞から望む点名蕨生


《片知谷戸・下屋にて》

県道81号から瓢ヶ岳登山口に向かう道に入る。保育園は取り壊し中、小学校は廃校になっている。片知川を見渡しても何処にも巡視路の橋はない。旧道・バイパスを走り、中電の標示板を探すと電柱の下にあった。向きは谷戸の方を指している。(結局この向きは理解不能)

ならばと谷戸の車道脇の広場に車を置いて、徒歩で穴洞橋を渡り左岸の一番奥を目指す。最奥の民家の先からはぬかるんだ道が続いているが、杣道は民家の先100mの水門の所に一つだけ。

 中電NO77の標示板   ならばと谷戸の車道脇の広場に車を置いて、徒歩で橋を渡り左岸の一番奥を目指す。最奥の民家の先からはぬかるんだ道が続いているが、杣道は民家の先100mの水門に一つだけ。
          中電 NO.77の標示板(下)                          取付き付近


最奥の民家で洗濯物を干しているおばあさんに、ろ山の登り口を聞いてみると山名さえご存知なく、隣の方はここの生まれだから聞いてみたら、と。

隣の家に行くと、またおばあさんが出て見えた。ダメだなと思いつつ聞いてみると「ろ山知らんけど、山には家の裏からも登れるし、水門からも登れるよ。何処からでも行けるよ」との事。


《ろ山》

車に戻り、靴を履き替えて出発、水門の所から取り付いた。道が有るような無いような支尾根を歩くと、ようやく尾根に出合った。

道順から推測すると、ろ山は左折した先になる感じ。所が白いプラスッチクの境界杭に何やら文字が・・・。よく見ると「?? 二五八米」と書いてある。となると上の2文字は「ろ山」と読める。

 ろ山山頂風景   山名標示
            ろ山山頂風景                                山名標示


そんな馬鹿なと思いつつも自信が持てず、ここを、ろ山山頂とし、すぐに倒木だらけの何もない山頂をあとにした。


《長良川と片知川の分水尾根》

歩いた時間、地形で地形図上にプロットしようとするが全く現在位置が分からない。とにかく倒木が多くて時間はかなり掛かっているようだ。

小潅木のヤブになる。きっと地図にある岩のガケを迂回しているのだと考えた。所がその先の地形が全く合わない。そして、またヤブになった。ここを過ぎると岩のガケが見え、今度こそガケを通過したと思った。

行きつ戻りつして、仕方なく最高点を湯の洞山山頂とした。確か山名標があるはずだが・・・?
(結局ここは南峰だった)
お昼を食べ、下山しようとしたが現在地が不安なので支尾根に入れない。エイッ、峠を越えて母野洞登山道まで行こうと考え、出発した。


《湯の洞山》

北進すること10分、山名標のある湯の洞山山頂があった。平成山・平洞辺りから南まで展望があるが曇っていていまいちだ。

ポストがあり、ノートが入れてある。その中に一枚のA4紙が挟んであり、立花から片知までの縦走記録が書かれていた。
コチラで大きく見られます 塗りつぶしの部分には署名があります 力作です 2012/1/11修正なしの画像にしました)

 湯の洞山山頂   南方向の展望
            湯の洞山山頂                              南方向の展望


《下山》

さて、下山は登りに使う予定だった尾根を下ることにした。山頂直下から北西に下るとすぐにコブがあり尾根が分岐した。コンパスを合わせ下ってみると急斜面になりこれは違う。右側に良い感じの尾根が見え、あれにしようと登り返した。

最初あやふやだった尾根道も確かなものになり、更に間違いないことを担保してくれる76番鉄塔への標示板があった。次々に標示板がでてきて、なかには75番の物のある。しかし、最初に出合った標示板には75への表示はなかった。

                  最初に出合った標示板
                          最初に出合った標示板


76番鉄塔からの巡視路には長い階段がある。そして77番から下った植林の中で、良い状態で残っている猪囲いに沿って下り、片知川に下り立った。

 猪囲い   猪囲い
               猪囲い


丸木橋と見えたのは一本の丸太のみ。ストックで押してみると沈んでしまう有様。思案にくれた。このまま左岸を上り母野洞のルートまで行くのはきつい。

靴を脱いで渡渉し、ハシゴで擁壁を上ると元の小学校の校庭に出た。予想外に遅くなったので城山はあきらめ、車に戻った。

                  渡渉地点
                              渡渉地点


《感想》

ろ山からガケの手前のコブまで1500mを110分も掛かっている。倒木があったとは言え、ナゼだろう。
また、今回は全く地形図が読めなかった。
少々ブランクが長すぎたようだ。



美濃一人山名録11湯の洞山