山名 | 標高 | 登山口の市町村名 | 行動日 |
---|---|---|---|
弥勒山 | 436.6 | 春日井市 | 94.01.02 |
池田富士 | 370 | 多治見市 | 94.01.03 |
東海自然歩道 | 犬山市 | 94.01.04 | |
愛岐丘陵 | 多治見市 | 94.03.27 | |
東海自然歩道 | 犬山市 | 94.05.05 | |
二ッ森山 | 1223.3 | 福岡町 | 94.05.28 |
北山 | 907.5 | 美山町 | 94.07.03 |
岩岳 | 999.5 | 根尾村 | 94.07.31 |
蕪山 | 1040.3 | 板取村 | 94.08.09 |
美濃一人>山名録94
東海自然歩道 1994年1月2日
【定光寺から自宅まで】2回目
自宅 8時50分
小泉駅 9時18分
多治見駅 9時22分着・24分発
定光寺 9時32分
外之原峠 9時32分
桧峠 11時7分
道樹山 11時39分
弥勒山 12時25分
内津展望台 13時20分
自宅 14時43分
4時間25分 25,530歩
道樹山から弥勒山にかけては人がいっぱい。
それに反して内津峠から北は人影は少ない。
内津第一峰 370m 多治見市 1994年1月3日
林道分岐に車を置く(260m)。チェーンをくぐり300m位行くと鳥居がある。
さらに林道を行くと約10分で終点。砕石場の上部なので展望は最高。
車止めから北尾根に上がる。植林の境目を行くとホコラの裏に出た。10分
ホコラは2つあり、1つには首のない像が祭ってあった。
下山は10分で鳥居、5分でP。
鳥居は昭和7年7月とあり、その前の石碑には「右 伊勢 左 つず原」とあった。
【後記:94・10・10 赤坂町後藤氏より「池田富士」とご教授いただく。
後藤氏は池田町のお生まれとの事】
東海自然歩道 1994年1月4日
【善師野から自宅】2回目
自宅 8時
小泉駅 8時23分発
可児駅(新可児駅)8時38分/9時2分
善師野 9時18分
光学園 9時52分
今井農場 10時30分
犬山最終処分場 11時4分
1号橋 11時25分
キャンプ場 12時/12時25分
A地点 13時40分
自宅 14時25分 4時間42分 32.200歩
今回は鞍馬教会を通らず、東大試験林から1号橋北側のえん堤の所に出た。
キャンプ場には誰もいなかった。地図上にはある石洞に抜ける道は無かった。
高社山から八曽山 1994年3月27日
0900 自宅発
0940 高社神社
0955 高社第2谷入口
1026 炭焼き釜の跡
1030 高社第一谷と出会い
1050 えん堤
1112 八曽の里
1145 キャンプ場
1205 八曽山山頂
1420 A地点
1535 自宅 6時間5分
善師野から自宅 1994年5月5日
0710 自宅
0733 小泉駅発
0815 善師野着
0855 光学園
0940 今井の林道大駐車場
ここから塩河コースの南に隣接した道を歩く。
1015 山の神
1035/1050 塩河コース・クラブハウス前で昼食。
1100 石碑があり 「右 うつつみち 左 たじみみち 今井村」となっていた。
1116 八曽の里テニスコート裏
1400 自宅 5時間20分
県境沿いで南下したが、北小木の神社の裏手に出たかった。
左分岐があったようにも思うが・・・次回
二ツ森山 1223.4m 1994年5月28日 福岡町
中津川市内を通り、福岡町から県道70号で切越峠へ。1時間40分
この県道は車1台分の幅しかない。
峠からは役場が境界調べの為に作った切開きを行く。道は大変良く踏まれていて快調。
50分で1160mの北峰、登り返して40分で山頂につく。
山頂からは鹿遊・笠置山・恵那山、それにこの付近の町並み。
山頂からこれだけの町を見たのははじめてだ。木間越しに御岳・北アルプスも見えた。
下山は林道に向かう。わずか30分で林道出会い、県道まで40分、峠まで10分。
暑い林道歩き。
山は植林で自然林はほとんどなく、花もないさみしい山。
でも、植林の手入れはしてあった。
今淵ヶ岳・北山下見 1994年6月4日
バイクで片知渓谷の奥にある今淵ヶ岳の林道に入り、入山可能な所をさがす。
北に伸びる尾根の上にほんの少し切開きがあるがかなり薄く山頂まで行けるかどうか。
この林道は800m付近を走っている。その林道でバイクの3青年と出会う。
片知から道に戻り、洞戸村に抜ける道(工事中)で50MHz6エレ×2をあげて
移動運用しているハムが2人いたのでアイサツするが、無視された。
高賀神社で昼食。大鳥居のとこでさっきのバイクの青年がおり、手を振り別れた。
それに比べ、バカハムたち。
ついでに北山の登山口をさがしに行く。東洞のつきあたりはえん堤の工事現場で
そこの人たちに聞いてみると、あるとのこと。
そして、わざわざ車でもどる人が連れて行ってくれた。良き人達
東洞の橋をわたる手前に登山口、「すぐに丸太橋があり900m」と書いてあった。
北山 907.5m 美山町 1994年7月3日
《登頂の記録》
関市経由で70分で現着。東洞谷川を横切る手前より入山。
近くのホコラの前に車を置く。北西にのびる尾根の上に踏み跡があったが、
35分で分岐。ここから右に道をとるが踏み跡は20分でなくなり、ヤブに入る。
しかし、僕の力ではとても無理。今度は左手側にケモノ道をみつけて進むが、
臭くてたいへん。結局Uターン、標高500mHくらいと思う。
分岐点にもどりメシ。もう一度、右手を調べるがやはりダメ。
東洞の終わりまで行ってみると、谷を左手に渡ると道があった。
次回はこれを行ってみよう。
岩岳 999.5m 根尾村 1994年7月31日
東板屋の奥で根尾東谷川を渡った所に車を置く。
橋を渡った所を右へ歩いて5分で車止め。
0845 P発
0940 500mH切開きがある。650mHから750mHのあたりはきつい。
1130 山頂 三角点 昼食後最高点に立つ
1220 下山
1240 三角点
1340 500m地点
1416 車止め
1426 P
登り約3時間、下り約2時間。
山頂より東斜面は皆伐され、作業用のモノレールがひかれていた。
ルートの細部は「続・岐阜百山」の記述がほぼあっていた。
蕪山 1068.9m 板取村 1994年8月7日
1時間30分で21世紀の森に着いた。
今回は奥牧谷ルートで登る。Pから40分で牧(平)の部分にでる。
そこはブナの原生林ですごーく気持ちが良い所。800m位まではブナが目に付く。
700m位で谷が分かれる所から山頂までは1時間。
山頂からはゴンミャク・西川山出合(無線塔が2基)・舟伏(山頂丘が伐採)・
美濃平家(鉄塔がある)が見えた。
下山は遊歩道を行く。800mの尾根からは山頂が望まれ、700mの山腹からは
サンノーの高と日永にあいさつをした。
2時間かけて下山、登りよりも長かった。
同じ山でもルートがちがうとまるで感じがちがって見える。
ブナの林はのどかで気持ちがいい。