山名 | 標高 | 登山口の市町村名 | 行動日 |
---|---|---|---|
東海自然歩道 | 犬山市 | 93.01.03 | |
八曽黒平山 | 326.9 | 犬山市 | 93.02.06 |
愛岐丘陵 | 多治見市 | 93.02/03 | |
蕎麦粒山 | 1296.7 | 坂内村 | 93.05.04 |
天狗森山 | 1338 | 中津川市 | 93.05.15 |
橋ヶ谷山 | 1420.9 | 中津川市 | 93.05.15 |
三森山 | 1100.3 | 岩村 | 93.05.16 |
三尾山 | 1006.6 | 板取村 | 93.06.27 |
瓢ヶ岳 | 1162.6 | 美濃市 | 93.08.29 |
三尾山 | 1006.6 | 板取村 | 93.09.11 |
高社山 | 416.6 | 多治見市 | 93.12.13 |
美濃以外の山 |
美濃一人>山名録93
東海自然歩道 善師野から自宅 1993年1月3日
7時3分 自宅発
7時33分 太多線小泉発
7時49分 可児駅着
7時50分 新可児発
8時8分 禅師野着
60分で四ツ家、30分で開拓パイロット農場、60分で鞍馬山教会
このあたりでなぜか足が痛み出した。60分で八曽ゲート前、
ここからは足を引きずるようなる。40分でキャンプ場(丸山橋)に着く。
ここまで4時間10分。ころあいの枝を拾いツエにして歩く。
そして、自宅までは3時間30分かけて帰り着いた。
翌日、医者に行くと肉離れとの事。
愛岐丘陵 八曽黒平山 犬山 326.9m 1995年2月6日
自宅から林道を通って北小木へ、1時間。
北小木から五条川沿いの林道を通って丸山橋へ、1時間
丸山橋から八曽山までは 40分
往路を戻って2時間半で自宅着。
愛岐丘陵 1995年2月27日・3月6日
東海自然歩道から分岐している細かい踏み跡を調べた。
愛岐丘陵 1995年3月21日
高社山南側砕石場周辺の踏み跡を調べた。
蕎麦粒山 1296.7m 坂内村 1993年5月4日
《未登の記録へ》
【P−60分−林道車止め−100分−峠−70分−山頂】
大谷川砂防ダムの付近に車を置く。
峠からは残雪があり、スッパツが役にたった。
山頂からは絶景、奥美濃の山が輝いていた。
ただ、残念な事に6・7人のパーティが山頂を占領していて標石は踏めなかった。
能郷白山はさすがに残雪がすごそうだが、小津三山には雪は見えなかった。
ふもとにはヤマブキ、中腹にはシャクナゲ・コブシ・マンサクが満開。
フキノトウはとうが立っていた。ザゼンソウを一輪見つけた。
シャク・スミレ・ミヤマキケンマ・ネコノメソウ・ショウジョウバカマ・
ヤマエンゴウグサ谷沿いの林道は秋もすごかったが、春もまたたくさんの花が咲いていた。
でも、残念なことにフィルムを使い切ってしまい写真が撮れなかった。
帰路、峠までの登り返しでかなり息苦しくなり動けなくなった。
心臓に無理しているみたい。脈は180位になっていた。要注意
尾根取付きから峠までの平均勾配は 480/950=0.505で約27度、
足も痛いが、腕も痛い山歩きだった。
天狗森山 1338.8m 橋ヶ谷山 1420.9m中津川市 1993年5月15日
R19で風神神社まで52km80分
【風神神社−25分−ゲート−50分−営林署小屋−35分−地獄谷峠】
NTTの標識を探したが見つけられず、峠まで行ってしまう。
峠の近くで山菜採りに来ていた夫婦に車に乗せてもらい登山口を教えてもらう。
標識はなく、営林署のカンバンがあった。
【登山口−15分−峠−15分−天狗森山−15分−峠−35分−橋ヶ谷山
−25分−峠−15分−登山口−80分−風神神社】
天狗森山からは展望はないが、橋ヶ谷山からは恵那山・焼山がすばらしい。
峠から橋ヶ谷山頂までの尾根にはササ枯らしが撒いてあった。
故酒井先生の「飛騨の山」にある清水(西側)から上がってくる踏み跡はなかった。
風天さんのお膝元のせいか風の強い1日だった。
三森山 1100.3m 岩村町 1993年5月16日
R19で岩村へ、50km70分、不動橋で駐車する。
登り
【P−55分−三森神社−10分−奥の院−30分−山頂−10分−帝釈梵天】
下り
【帝釈梵天−60分−参道入口−10分−P】
神社からは水晶山ごしに屏風山や岩村市街が見える、また奥の院てまえの
尾根からは阿木川ダムの向こうに笠置山が見えた。
ここ2地点以外では展望はない。ただ、山頂手前で木間越しに
恵那山・天狗山が見えた。
三十三観音はいいお顔をしてみえた。クモの多いい山だった。
サンノーの高 1106.6m 板取村 1993年6月27日
蕪山に向かうが、登山口に20人位いたので目的地を変更。
松谷の奥に車を置く。所が、山靴を忘れてきた。
スニカーで行けるとこまで行くことにする。
あちこちで道をまちがえ、1時間半かかって釜ヶ峠手前の谷を渡る所に着いた。
休憩していると、何と人が来る。冬の花房に行くほどのツワモノ。
下山は55分。
後日、彼(小田さん)から手紙が来て山頂までは行けなかったそうだ。
瓢ヶ岳 1993年8月29日
展望台ルート(新しい道)から入山。旧登山道と交差していると思われた所
から登山道に入ったつもりだったが、踏み跡もなくなり、とにかく尾根をめざす。
そんなヤブの中でイノシシと鉢合わせした。でも、向うが逃げてくれたので助かった。
ヤブをこいで尾根道に出る。さて、山頂は右か左か分からず、右往左往。
「奥フクベ岳→」の道標があり山頂へ、山頂と西ピークの間に出たらしい。
下山【山頂−20分−星の宮への分岐−40分−林道−30分−林道交差点−40分−P】
今淵ヶ岳の林道は片知林道より分岐している。高賀に抜ける林道はガケグズレ通行止め。
美並村への林道は工事中。
サンノーの高(松谷山) 1993年9月11日
Pから60分で前回の渡渉地点。
釜ヶ峠からはオオクゴの滝が見えるが、松谷大滝は見えない。
丸木の橋は朽ちていて、崩落した所もある。谷に下りると王子製紙のカンバンがある。
そこから右岸を行くと小屋跡に着く。25分。
本谷を遡行しようとしたが、水量が多く断念してUターン。
下り:65分で渡渉点・70分でP
技量・精神力とも小田さんのようにはいかない。
家から松谷洞まで67km1時間35分
下見 東濃 1993年9月15日
恵那市から玄済橋を行く。岩山のふもとの岩寿荘の前を通って
林道に入ったが道にまよう。
道が抜けた所がありUターン、ここから先に行けば岩山林道にでたかも。
遠ヶ根峠より二ツ森林道に入る。切越峠見て1kmは舗装してあり、
そこから1kmの所に二ツ森山登山口がある。
また、二ツ森林道の枝道で東森林道からも同一登山道に出会う。
【後記:意味不明】
但し、車は不可。
切越峠からも登山口があったが行くことが出来るか?
鹿遊をかすめて帰宅。
下見 東濃 1993年10月11日
美濃坂本から美恵橋を渡る。R257で付知へ、稲荷から旧道へ入り
越原峠を越える。
手掛岩山の北側を通り、藤島山の南側へ。大野峠を越えて黒川へ。
赤河へはゴマクサ峠を越す。峠から箱岩山がいい形で見える。
赤河に沿って走り、小倉より赤河峠へ、見行山は分からなかった。
帰路、笠置橋が不通、R418を行くが笠置ダムでストップ、
まだ道がない。飯地から八百津を目ざすがR418に南下する道が2ヶ所で不通。
久田見まで行き、やっと南下できた。
高社山 1993年12月23日
手術後はじめての足慣らし。朝、積雪があったので歩いてみる。
北ピークから金華山を確認した。
今度はナタとノコギリを持って行き雑木を切ってやろう。
帰路、ジンマシンが発生。24日医者へ行く。
4時に受付、一旦帰り、5時に行き、終わったのが何と8時。
今年の正月のこともあり、もう二度とこの医者には行かない。
美濃一人>山名録93