山名録98

山名 標高 登山口の市町村名 行動日
タンポ 1065.8 久瀬村 98.01.03
平洞・平成山 424.2 武儀町 98.01.05
高曝山 457 武儀町 98.01.05
大黒山 524.4 美山町 98.01.10
釜ヶ谷山 696.0 伊自良村 98.02.01
古城山 437.1 美濃市 98.02.07
権現山 516 武芸川町 98.02.07
古城山 407.5 高富町 98.02.11
水晶山・ナガザコ 568.9 美並村 98.02.22
高尾山 931.8 根尾村 98.06.07
魚金山 921.2 根尾村 98.06.07
鍋倉山 1049.9 久瀬村 98.07.04
尾城山 1132.9 加子母村 98.08.09
尾城山 1132.9 白川町 98.11.29


美濃一人>山名録98


タンポ 1065.8m 久瀬村 1998年1月3日

 【ゲート−15分−分岐−10分−分岐−15分−分岐−60分−分岐−20分

      −ヤブに入る−20分−山頂】

 小島山の北、飯盛山の辺りから東に向かって雲が流れだしていたのが、揖斐川町から見えていたが、

 久瀬トンネルを抜けて東津汲に入ると、今までの快晴がウソのように雲っている。

 小津の村から高地谷に入ると視界は100m位になった。白倉谷出合に着いた時、ちょうど

 2台の軽トラがゲートを開けて林道に入る所だった。その荷台には犬が乗っていて「これは!

 鉄砲打ち・・・」。

 入山カードをポストに入れ、林道に入る。霧はあいかわらずすごくて谷の向う岸が見えない。

 でも、しばらくすると日差しが出てきた。白倉谷を渡る橋は凍っていたがタイヤの跡がなく、

 鉄砲打ちはこちらには来ていないと、一安心。

 山腹を登るようになると、霧の層から抜け出し花房がデーンとあった。

 雷倉も少しずつ顔を出して来る。3番目の分岐からしばらく行くと雪が出てきて、タイヤの跡が

 往復で1台分、それと人の足跡があった。雷へ行く道を分けてしばらくすると、車は引き返して

 いたが、足跡はまだ続いている。そして道が大きく曲がる所から林の中へ、踏み跡をたどって

 山頂に着いた。

 西方向は潅木で見えないが、根尾村側は植林して日が浅いので北から東、南西までの大パノラマ。

 山名同定するが、全て見えるのでうまくいかない。西台山・魚金山はすぐそこに、伊吹は逆光の中。 

 北山の反射板が光っている。林道に戻ると、そこからは西方向もばっちり。

 足跡の主は西に伸びる尾根にある林道を下っていったらしい。どこに出るのやら。

 これで小津の山も終わったので白山神社にあいさつをして、写真を撮っておいた。

 雪は深い所で15cm位、今日が普通に歩くことが出来る今年最後の日だろう。

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平成山381m・平洞424.2m  武儀町 1998年1月5日

 美濃加茂から正眼寺の前を通って津保川に沿って平成へ入る。1時間弱

 元号橋を渡って、しばらく行くと公園があり地図上の手前の分岐と勘違いして公園の中の分岐を

 左に入ってしまう。かなり走った所で工事中となり引き返し、公園までもどって右に入る。

 カンバンに導かれ左折して、地道の林道に入ると300mで分岐。一旦、車を置いたが

 「美濃の山」にあった道を探しに舗装された林道を行ってみるが2kmほど行くと鞍部を

 越えた所で工事中、道がない。その鞍部からは平洞も高曝山も見えていたと思う。

 本にあった道は遊歩道がある林道から少し行った所のあるチェーンをした林道だと思うが

 ここは、やはり道標従うことにする。林道の分岐に車を置き、右の林道に入ると300mで

 車止め。カンバンがあり、登山道入口。15分で尾根に出て、そこから5分で平成山。

 山頂にはなにもない。北から上がってくる踏み跡はとても歩けそうにない。

 平洞までは13分。展望はいいが、なじみのない山ばかり。少し戻った所からは

 西の高賀山群が見え、母野洞は手のとどくとこにある。

 木間越しに誕生山・天王山・権現山・粉陽寺山が1列に見えたが、写真は撮れなかった。

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高曝山 457m 武儀町 1998年1月5日

 平洞から尾根を南下してNo57の鉄塔を通って、西に延びる尾根を行く。

 切開かれていて、意外と明瞭。平洞から見ると4つ目のピークであったが、歩いてみると

 コブがいっぱいあってよく分からなくなった。

 ここより先に高いピークがないのを確認して山頂とした。そこにはハンカチが結んであるだけ。

 南尾根と東尾根にはクイがあり切開かれていたが、公園に向かうはずの北尾根は尾根には見え

 なかった。平洞から46分、展望はなく、風花が舞い始めたので下山。

 30分戻った所に、赤い布が5m間隔でつけてあった。これは権現山(武儀町)でも見た下り口を

 示すしるしだ。桧の植林の中を下ると10分で林道に出た。何と、朝間違えて入った林道で、

 歩くこと15分で朝の引き返した地点、その向うに車が見えた。

 朝のUターン地点から車まで120歩、一人で大笑い。

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大黒山 524.4m 美山町 1998年1月10日

 山戸の篠座神社の横の林道に車を置いてスタート。

 すぐに林道の分岐を右に入って、谷に下りて右手の斜面を登ろうとしたが歯が立たない。

 しかたなく車まで戻り、谷に下りて民家の裏から尾根に付く。踏み跡はしっかりしているが、

 方向が変。でも尾根をはずさなければ大丈夫だと思って進む。13分でホコラがあり、

 8分で小さなピークに立つ。北西に下る道に入ってしまい引き返し、北東に行く。

 10分くらいでコブの上、尾根は北西になる。10分で十字路があり、7分で正規に道に合流。

 5分で馬場洞からの道と合流して、18分で山頂。合計71分

 山頂手前でデッカイ犬が現れ、鉄砲打ちと出会う。「大丈夫、おとないしいから」

 おとなしい犬に狩猟犬が勤まるか。

 下山途中で4人パーティーと出会う。下っていくと神社横の林道が分岐する所の尾根の先に出た。

 自分でルートを探して歩く気分は最高、たとえ小さな山でも。

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釜ヶ谷山 696.0m 伊自良村 1998年2月1日

 家から1時間半でみぞれ谷林道の入口に着く。

 10分で右手の尾根に付き、10分で尾根の上に出る。10分で鉄塔、また広場に下る道を分ける。

 15分で奥の院。奥の院まで所々に石仏がある。20分で境界尾根、10分で山頂。1時間15分

 山頂には真新しい小屋があり、先客が7人。桧の植林越しに能郷白山・姥ヶ岳・大白木山・舟伏・

 日永らが見える。能郷白山は木々で黒く見えるのに、福井の姥ヶ岳は真っ白。

 かなり年配のご婦人が3人上がって来たので、下山する。

 小屋の裏から続く北東の尾根を下る。雪は登山道とちがい40cm位あって快調に下って行く。

 しかし潅木に足をとられ、いくどもころんでしまう。とにかく、誰も踏んでない雪、気持ちは

 いいが、ズボンも手袋もどろどろ。でも靴はワックスが利いていて大丈夫。

 35分で遊歩道の突き当たりに出た。そこから釜ヶ谷林道を歩いて25分で車に戻った。

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古城山 437.1m美濃市 1998年2月7日

 美濃市総合グランドの体育館の横に車を置く。

 遊歩道を時計回りで歩く。40分で山頂に着くが、残念ながら4山(誕生・天王・権現・汾陽寺山)

 の整列は見られなかった。見えるのは誕生山と天王山のみ。

 雷倉は恵那山と同じような形に見え、東方向には御岳・乗鞍、それに平成から高曝山も小さな

 山並みに見える。西から少し南には何やら展望台らしきものがある山が見えるが何だろう。

 南登山道と北登山道の中間の連絡路で下山。40分

 展望台と思われる建物のある山は見坂峠南の434.5m峰と思われる。1度見に行こう。

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権現山 516m 武芸川町 1998年2月7日

 千本桜の駐車場に車をおく。戸を締めている売店の前を通って、トイレの横の丸太の橋を

 渡って入山。No105の鉄塔の手前は道が抜けている。No167の所で4人パーティと出会う。 

 何と誕生山から分陽寺山まで縦走中との事。車が2台あれば出来るとはいえ、しんどい事だ。

 結構きつい急登を重ねてNo107に着く。少し登り返して山頂。

 立派なお社があるが、展望はなくNo107に戻り昼食とした。270°から90°の北側は

 すばらしい展望。但し、汾陽寺山の反射板は見えず、片知山の無線塔も見えない、撤去したのか。

 矢坪の南には新しい送電線が走っている。大黒山の反射板は確認でき、北山の反射板も見えた。

 山頂直下には東方向に中電の巡視路があった。さっきの4人パーティーはこれを来たのだろう。

 そのパーティーが谷をはさんでNo166にいるのが見え、呼べど届かず。

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古城山 407.5m 高富町 1998年2月11日

 大桑養蚕団地の道をはさんで反対側の広い広い空き地の車を置く。

 林道を5分ほど行くと登り口、ほんの少しで尾根の上を歩いている、35分で境界尾根に出て

 10分で山頂。展望は南が主であるが、三角点からは高賀山群が目を引く。 

 そして、美濃市の古城山から見られなかった4山並び(汾陽寺山・権現山・天王山・誕生山)が

 見えた。やったー

 木間越しに大黒山と舟伏山が重なって見え、中央アルプスも白い山並が光っている。

 おばさんグループが来た。それにしても、やたら目に付く中高年(自分も含め)。

 山頂から一瞥しただけで食事をする。いろんな楽しみ方があっても良いが山頂に敬意を示して

 景色を見てやってほしい。山頂からすぐの所に青波からの道と思われる踏み跡があった。

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水晶山546m ナガザコ568.9m 美並村 1998年2月22日

 大矢から馬越峠へ向かう県道に入り、送電線の下を通る所を探してみるが、見落としたらしく

 峠まで行ってしまった。大矢に戻る途中、らしい林道を見付けて入ってみる。300mほど

 歩いては車を取りに戻るを3回繰り返したが林道はまだ続いている。おかしい、おかしいと

 思いつつ、ここから歩こうかとも思うが・・・

 やはり県道に戻り、板屋の集落にも入ってみるが鉄塔がたくさんあって、送電線のルートが

 分からない。もう一度、大矢に戻って、大矢である事を確認し、村人Aに県道がマコシ峠を

 通ることを確認して峠に向かう。板山から1.5kmと読んで出発。さっきの林道は700m

 しかなく、もう少し先に行くと林道があった、「これだ」と思うと同時に、例の黄色い板が

 目に入った。登山道入口と書いてある。

 前に大きい石碑があって見落としたらしい。その間1時間強ロスをした。

 車を県道の脇に置いて出発。林道の終点から少しい行って左の尾根に付く。

 巡視用の階段があり、かなり急なわりに楽をしてNo5の鉄塔に着く。15分

 20分で境界尾根に乗って、まずは右に、石英質に岩が並ぶ尾根を行くと15分で水晶山山頂。

 山頂手前には黄色い板に「県道への降下点」とあり、山仕事用の目印もあった。

 水晶山から20分でNo6の鉄塔、そこから10分でナカザコ。三角点にあいさつをしてから

 鉄塔に戻り、昼食。ここもあまり展望は良くなく、岩場までもどって北方向の写真を撮った。

 南方向も一部展望できたが逆光の上に山が低くて同定できなかった。

 寺谷洞と水成川からの踏み跡があった。

 久しぶりに時間がかかった山歩きになった。

 下田から見た山頂は馬の背のコブ以下にしか見えない。

 帰路、見坂峠の展望台と思われる所を見に行ったが、あったのは2枚の反射板だった。

 巡視路もあったので一度登って確認してみよう。角度によっては建物に見えるのかもしれない。

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愛岐高原 1998年5月5日

 歩行3時間30分

 概念図を作成する

 

高尾山931.8m 魚金山921.2m 根尾村 1998年6月7日

 《高尾山 未登の記録

 【のりこし峠−10分−分岐−25分−高尾山−40分−最低鞍部−25分−山頂】

 昨年秋から2度目ののりこし峠。横倉まで93分、峠までは20分強。

 西台山の時は冬木立だったが、今日はミドリ・ミドリ。

 コンパスを北西に合わせ出発。尾根の南斜面を少し行き、そして尾根に乗る。約10分で

 境界尾根が右に曲がるピークを西から巻いく。尾根が東に越える辺りからヤブが出てくる。

 高尾山手前の10分はヤブ。山頂には三角点があるだけ。

 少し下ると林道に出る。池を西から巻いて林道を行く、途中尾根の南から北側になり、

 最低鞍部に着く。少し行って右の杉の根本から尾根に付いて、すぐに植林帯に入る、

 高い方へ。右にまがって三角点。

 三角点からは雷倉から舟伏山まで、植林帯からは高尾山・西台山から雷倉まで。

 冬ならばすばらしい展望があるだろうが、今日は曇り空でかすんで見える。

 単独行の2人と出会うが、共に高尾谷から入山との事。今日のルートは僕1人。

 大いに満足、でも先人のテープか手助けとは残念。

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鍋倉山 1049.9m 久瀬村 1998年7月4日

 久瀬村津汲から日坂に入り、和佐谷の林道に入るが、終点まで行ってもそれらしい道はない。

 少し戻ると、農作業小屋があり、その横に地道の林道がある。それが東海自然歩道の入口

 らしい。ここから谷沿いを行くと立派な道標があって、1時間で日坂越に着いた。

 そこで下草刈りに来た老人と出会う。そこから少し行った小さな洞が持ち山らしい。

 3年目の植林との事。そこからは本峰とその尾根、貝月山・伊吹山・鎗ヶ先が展望でき、

 30分で第二の日坂越し。美束に下る道は草にかくれていた。

 電光形に登って30分で山頂に着く。所が山名標はあるが三角点がなく、南へ行くと

 小屋があった。もう一度山頂に戻り、三角点を探しながら下山すると、1分ほど戻った所に

 三角点発見。登りでは見落としていた。

 植林の所に老人の姿はなく、下山後その老人の言っていた高橋邸と寺を見学した。

 一部を除いて自然林の中で暗く、でも2人並んで歩ける位の遊歩道であった。

 山頂手前ですれ違った人を下村の辺りで乗せ、本揖斐の駅まで送ってあげた。

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尾城山 1132.9m 加子母村 1998年8月9日

 《登頂の記録へ

 【後記】林道車止めまで幾度も林道を横切っているが、記述がはっきりしない。

     よって、その間は削除して記録した。

 加子母中学校の前を通り、林道に入る。その林道からアンテナの建っている建物の前にある

 狭い林道に入るが、路面が悪く1kmで車を置いて歩く。

 ゲートまで30分、林道を歩いて終点まで30分。

 終点の手前に沢があり、そこから入るとはっきりした踏み跡があり、少しで境界尾根に立つ。

 境界尾根歩く事30分で山頂、のはずだが三角点がない。間伐した木の下になっているのか。

 もちろん山名標はない。南には同じ高さの山も間近に見えるが・・・断念

 下山は北北東にある踏み跡を下って10分で林道に出る。ゲートまで45分、車まで35分。

 ゲートまで車で入れば約2時間で往復できるが、今日は3時間の林道歩き。

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愛岐高原 1998年11月22日

 腰の様子を見る為、近場でチェック。

 北小木、八曽の里を基点

 

尾城山 1132.9m 白川町 1998年11月29日

 「美濃の山 第三巻」が上梓され、その中の記載により、やはり8月9日には山頂を踏んで

 いないのが分かり今日の山行となる。

 神土より桜峠を越えて佐見に入る、有本を過ぎて別荘地に入ると、空き地に車を停めて地図を

 見ている「尾張小牧」の車がいる。先を急ぎ谷を越える橋を探すが通り過ぎたと思った頃に

 2トンダンプとすれ違う。その車に後続が道をたずねている。私も降りて「尾城ですか」と

 聞くとそうだとの事。ダンプのオヤジに教えてもらい一緒に入山。

 谷沿いに行くが20分位、炭焼きの跡辺りで踏み跡が消える。一人なら強引に尾根に出る

 所だが、同行者の意見に従いほぼ登山口までもどり尾根に出る踏み跡に入る。これも

 炭焼きの跡で消える。ここは直進して植林の中を尾根に出る。少しヤブを行くと東白川村から

 の道と合流。後は直進して山頂。ロスタイムを引いて50分位。

 山頂で第三巻の話をして昼食。私と同じで行ける山は行ってみえる方のようだ。

 8月9日のピークを探して東に入るがこれは違っていた。北に入ると例のピークに出た。

 約3分。尾根が「エ」の文字の様になっていて、下の交点が三角点で8月9日は上の横棒を

 行ったり来たりしたらしい。地形図では読めない小さな地形だった。

 下山は境界尾根を下ったが、下降点が分からず適当に下った。45分

 一人だと意識を集中して歩いているが、2人になると注意が散漫になるようだ。

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美濃一人>山名録98