円原

右・円原、左・峰山

三尾山登山道71番鉄塔から望む右・円原、左・峰山
(どこかに必ず写っていると思い探したがこんな逆光の写真しかなかった)


円原 871.3m 山県市(旧美山町) 2005年11月13日      地形図「谷汲

 未登【P−30分−三本杉峠−25分−峰山平尻−80分−円原北北東550m地点
                                        −40分−谷−75分−P】

  『地名については「美濃の山」を参考にしています。』     地図はコチラ

                                 2005年11月20日 2回目で登頂

《円原について》

記録は大垣山岳協会編さんの「美濃の山(第2巻)」のみ。

地形図で見る大きな凹地の記号は自然の地形としては美濃では円原周辺にしかないと思う。

(ただ、生産活動の結果としては我が家の直ぐ近くにも砕石場があるが。)

そんな大きなドリーネを見てみたい。

《西洞谷》

1995年10月7日北山に登って以来ちょうど10年ぶりの道。記憶の通りの狭い道で、対向

車が来ないことを願いながら走って行くと、西洞の手前でトラックが道をふさいでいて、その周

辺に人が4人も居る。今日は村で何かの行事があるのか・・・

ついでなので、「円原・峰山への道はありますか」と聞いてみる。おじさんいわく「数年前に

林道が通ったから行けるけど、この車じゃ無理だ」と言われた。聞き方が悪かったようで

「円原川に抜けられるか?」と聞いたと勘違いされたようだ。地元の人でも点名円原を知る訳が

無い。「ダケ・峰山」とも言ったが通じなかった。さらに進んで行くと中又ノ沢の出合にも車が

3台停めてありここにも地元の人が5・6人居た。何をするのだろうか。そこから1.1Kmで

枝谷が左から入ってきている。150mほど進むと路肩が広くなっていたので車を置いた。

昭和63年修正の地形図にはこの枝谷に破線があるがとても歩けそうにも無く林道を行く事

にした。

《三本杉峠へ》

  林道  峠のわが家

林道は大きく折り返し、石灰岩の壁を見ながら上がって行くと、15分ほどで営林小屋の

「峠のわが家」に着く。ここから谷底を見ると道らしきものが見え、またこのまま林道を

行くと登り口を見落とすかもしれないので谷に下りることにした。ところが道に見えたのは

谷底の砂で、谷は倒木でふさがっていた。しかたなく急斜面を登って林道に戻ることになった。

峠の祠

 そして林道の鞍部に着くと、北側にホコラと石仏

 が見え、上がってみると旧道も残っていた。

 石仏は32番と33番があり、33番には馬頭観

 音と書いてあった。西国霊場の33番ならば

 谷汲山華厳寺で十一面観音なので、どこの霊場な

 のだろうか。

(この石仏は東洞谷の分岐から始まっているようだ)

《峰山平尻へ》

峠から少し戻って草付きの斜面をくだって谷に下りた。峠から見て最初の谷は倒木がふさいでい

て入る気にならない。2番目の谷の出合を目指すと薄い踏み跡があり、尾根の縁を越えて3番目

の谷と尾根の間の植林の中にはっきりした杣道があった。所々に黄色いヒモがあり、人の気配

がうれしい。峰山平尻に立つと南側は深くきれ落ち、ドリーネが現れた。

《山頂へ》

踏み跡に従い凹地に下りたが、右のくぼ地は草が茂っていてダメ。左の踏み跡はくぼ地のふちを

回って尾根状の所に出たがケモノ道も無くなってしまった。あたりには鹿のフンやイノシシの

足跡があり、その上に植林の杉が空を覆い快晴のはずだが暗くて心細い。マヒラ道は見つからず

凹地の中の島状になった植林帯を歩いたが、ここは昭和63年修正の地形図の破線の上だった。

200mほど行くと斜面を登るようになるが踏み跡はない。少し登ってみると間伐して明るく

なった所にかなり古いヒモが見え、登ってみたがやはり踏み跡は無かった。辺りを探して見る

とやっと踏み跡がありヒモも有ったが峰が後方に見えている。また元の所に戻り地図を見てみ

るが全く位置がつかめない。尾根も谷も地図に無く、景色も特徴のある所は全く無い。

薄暗い植林の中て立ち往生してしまった。

未知の尾根

幾度も地図を見直していると南北方向の谷があるの

に気がついた。西に進むといい感じの谷があったの

で、これを渡り尾根に乗った。そして主稜に合流、

左折して山頂?アレ下ってしまう・・・

しかも、230°にかなり高い峰が見える。そうい

えば全然登っていない事に気がついた。

「バンザイ無よ」2週間前にやった腰が痛むし、

ここで昼食とした。

《谷の上流へ》

おにぎりを食べ、少し元気が出たので斜面に見えたヒモの辺りをもう一度探してみた。

すると少し強引に倒木を分けると踏み跡があり続いていて、そして谷に出た。

そこから先に踏み跡は無かったが歩きやすそうな植林が続いていた。しかし時計は12時

を回っている。体と相談して引き返すことにした。

ただ、次回のことを考え谷の所と斜面の踏み跡の入口に目印を残置した。次回ははずして

来るので大目に見ていただこう。

《下山》

暗い植林から開放され林道に上がると、行きには気が付かなかったがガードレールにかなりの

登山靴

 年月雨ざらしになった登山靴がぶら下げてある。峠まで車で来た人が忘

 れていったのか。

 この靴の持ち主が黄色いテープの御仁かも知れない。

北山

 シビレの残る足をかばい

 ながら、目の前の北山に

あいさつをして車に 戻った。









《自宅にて》

地形図で今日の道筋を考えてみると、峰が後方に見えた地点のヒモは最初、間違った道に入り

込んだ人物が残置した物と思ったが、彼は凹地の縁を回って来た事に気が付いた。

彼はマヒラ道を歩いてきて、そして斜面を登ってトラバース気味に谷に着いたのだろう。

自分はと言うと、谷に出合うと対岸の尾根を見ながら下ってしまっていた。

そして地形図には現れない尾根に乗って、いい気になっていた。やはり地図が読めていない

のだ。昼食を食べた地点すら、現地では分からなかった。今考えると、手入れの良い植林だっ

たので直登してもいい所まで行けたかも知れない。まあ次回に期待しよう。



美濃一人山名録05円原