サワラ・東ヶ洞

サワラ 1227.8m  東ヶ洞 1286.6m

          郡上市明宝地区 2007年7月28日 地形図「萩原」  詳細地図はコチラ

【サワラ登り】P8:55−橋9:20−サワラ洞出合9:55−山頂付近の右カーブ10:35−山頂10:45 

【東ヶ洞登り】サワラ山頂11:10−日出雲林道出合11:45−谷に入る12:30−山頂12:50

【下り】東ヶ洞山頂12:55−石原林材跡14:25−P14:50


《サワラについて》

「続・ぎふ百山」に記載されている山。WEBでは「みのハイク版山の雑記帳」さんが今年の4月に、「雲よりも高く」さんが平成16年9月に歩かれていて、共に最後の三角点探しには苦労されているようだ。

《東ヶ洞について》

酒井先生の「飛騨の山山(ヤブ山編)」にサワラと共に記載がある。点名は日出雲。点の記によればサワラと同じ時期に改測されているが、気になるのは所有者が郡上市(サラワは小川生産森林組合)となっていて石原林材の名前がない事だ。

《郡上市明宝小川地区へ》

昨日、地形図に書込みをしていて5万分の一萩原の地図には収納の為の折り返ししか無く、携行する為の折り目が無いのに気が付いた。昭和58年修正の地形図で何時買ったかは記憶にないが一度もこの地域に足を踏み入れていない事になる。

和良村へ行く道を分け、県道86号に入る。岩屋ダム湖畔の道はカーブが多く、思いのほか時間がかかる。そう言えば簗谷山へ行った時にはタイヤがツルツルでスピードを自重したのを思い出した。

その登山口の案内を過ぎ、初めて「萩原」に車を乗り入れた。まずは「小川口番所」(美濃の峠・馬瀬峠に詳しい)の石碑を探し写真をとるが前面が影になって上手く写らないので、帰りにまた来る事にして、日出雲川出合に向かう。(結局カメラが壊れてしまい戻らなかった) 

 小川口番所跡の石碑   上村橋
         小川口番所跡の石碑                                上村橋

《日出雲林道》

橋の欄干の銘板で日出雲川と確認して集落に入るとすぐに立派な「竹林山浄福寺」があり、山門の前を通って進むと道なりで日出雲林道になる。

廃屋のある集落跡を過ぎると新しいゲートがあった。少し戻り旧集落の「浄福寺跡」の石碑の辺りに車を置いたがスズメバチ数匹の威嚇に遭い、ゲート近くの枝林道の入口の広場に戻り駐車する。
ゲートには明宝財産区の注意書が有るが、どこにも石原林材の名前が無い。

 新しいゲート   明宝財産区の警告文
             新しいゲート                            明宝財産区の警告文

20分でGoogleの地図にも載っている石原林材の現地事務所の対岸に着く。橋を渡り中を覗きたいが先を急ぐ事にする。それにしても全く人の気配が無い。

 石原林材   日出雲川
             石原林材                                   日出雲川

地図を指先で押さえ現在地を確認しながら1Km20分弱のペースで進んで行くと、橋から35分でサワラ洞を横切る。この洞の入口を写真に撮ろうとシャターと押すとパチッと大音響(ファインダーを覗いていたので)がしてカメラが壊れてしまた。

これ以降はカメラの時間データには頼れないので細かく記録していく事にした。 

《サワラ洞沿いの林道から山頂へ》
サワラ詳細地図
林道を登って行くと分岐があり、そこから100mほどはコンクリートの舗装がしてある。洗越(あらいごし)で2回サワラ洞を渡り、ガケの崩れた所を過ぎ、南に向かうようになると空が広がり山頂付近である事が分かる。しかし、この付近にあるはずの林道の分岐が無く、右に曲がって北向きになってしまった。

どのコブが山頂なのか全く分からない。カーブから少し戻ると草に埋もれた廃道の林道を発見、10m程先からはきれいにヤブが刈ってあり前方を見るとヤブが刈られたコブが見える。これはいかにも「有りそう」に思え鞍部から上がると三角点が迎えてくれた。

《サワラ山頂にて》

北斜面は皆伐と言えるほどに杉が切られているが、なぜかまた杉の幼木が植えてある。なにを基準に一部の杉が残してあるのか理解できない状態。

そして山名標、連名で書いてある。日付は2007・7・22とあり、何と先週の日曜日と言う事になる。展望はもやっていてはっきり見えないが東ヶ洞がわりととんがって見え、大きな山は烏帽子岳だ。カメラが無いのがこの上もなく残念。

《東ヶ洞山頂へ》

サワラからの下山は鞍部から廃道の林道を横切りすぐ下の林道に下りた、その距離は30m程。よく見てみると右カーブの東のコブは容易に確認できるので、これを基準に推測すれば良かったかも・・・。否、やはり廃道の林道を見つけた方が早そうに思える。

そんな事を考えながら日出雲川とサワラ洞の出合に戻った。ここから約2Kmで東ヶ洞の登り口になるはずだ。日出雲川本流の洗越が3ヶ所あるがかなりの水量があり、靴を濡らしてしまった。

東ヶ洞詳細地図そして、最後の分岐からは谷と時間を確認、点の記の記載を参考に西尾根の取付きを探す。しかし、どの斜面も植林の中はササヤブがあり、歩けそうにも無い。

その時、道沿いにピンクのテープが吊るしてあり、20mくらい上にもピンクのテープが見える。早速、袖口のボタンを留め、襟元をタオルでふさぎヤブに入ってはみたが踏み跡も何にも無い。仕方なく林道に戻り、思案に暮れた。

と、すぐ横の谷を見るとわずかに踏み跡がある。覗いてみると檻が仕掛けてあり、その横に踏み跡が見えた。

入ってみると谷は二又になり、左の谷は更に分岐している。最初の分岐には炭焼き釜の跡があり、その後の尾根は下草のない歩き易そうな桧の植林になっている。

適当に登って行くと1230mH辺りで廃道の林道に出合、更に登ると潅木のヤブになった。ヤブの中を高みを目指すと踏み跡が有り、右折して山頂に到着。

《東ヶ洞山頂にて》

展望は全く無く、山頂の南から260°の間は杉の植林が広がっているが手入れはされていないようだ。この西方向の植林の境には踏み跡があるかもしれないが確認する気力が無かった。

ただ暑いだけなので早々に山頂を離れた。唯一確認した北側の踏み跡は境界尾根上にあり山頂から北150mの鞍部までは確認できた。

《下山》

往路をただ下って行くだけなので飽きてくる。橋を渡り石原林材の建物を見に行くが完全に閉鎖されていて、取り残されたように顕彰碑が立ち並び、盛んだった頃を偲ばせている。

この少し先で本日2匹目の鹿を見かけたがクマベルは鹿には効果が無く、ぎりぎりまで気が付かないようだ。もしかするとクマにも効果が無いのかもしれない。

《自宅にて》

WEBで石原林材を検索してみると2004年に倒産しているらしい。碑文にあった「わが国の林業の範とならん(写真がないのでうろ覚え)」という気概だけでは外材には勝てなかったようだ。
それにしてもあの広大な植林をどのように保守していくのだろうか。いろいろと考えさせられる山歩きになった。

《その他》

もう二度と越す事がないと思う小川峠は標高910m、畑佐との標高差420mで美濃地方有数の峠、同日15時15分通過。

また国道472号有穂から望む絶高はことのほか山に見える。これなら山名があってもおかしくないと思われた。   


美濃一人山名録07>サワラ・東ヶ洞