大槻山

岩井谷林道分岐付近から望む大槻山  白川町新津から望む大槻山
岩井谷林道分岐から(080309)            白川町新津から望む大槻山

大槻山 663m 加茂郡白川町 2008年12月29日 地形図「金山」  
                                             詳細地図はコチラ

【大槻山】 P9:10−ゲート9:25−大槻山10:35〜11:05−林道分岐11:45

【小川谷】 林道分岐11:45−小川林道終点11:55−滝上部で引返す12:10−林道分岐12:25

【浄蓮寺峠】 林道分岐12:25−浄蓮寺峠13:15−七宗林道出合13:35−浄蓮寺峠13:55

                                     −廃作業道出合14:25−P14:50

《大槻山について》

2008年3月、ベニズラ・長尾に行った折、佐口谷林道の岩井谷林道分岐付近から格好の良い山が望まれた。帰宅後に確認すると七宗白川境界の663m峰だった。この山は七宗御留山境界絵図には記載が無く、七宗高山にも入っていない。

そして4月、「みのかもから山登り」さんのHPでこの山が「大槻山」と言う事を知った。山頂には「七宗大権現」の祠があるという。

《予定したコース》

白川町坂の東小川から小川林道に入り、有るであろう国有林の境界で大槻山に登り、有るであろう歩道で御代谷へ下る。林道分岐に戻り、小川林道終点から地形図の破線路で浄蓮寺峠へ行き、七宗林道との出合を確認後、旧峠道で小川に戻る。

《大槻山へ》

国道41号から小さな案内板に導かれて小川の集落に入る。集落の奥で舗装が切れ、400mくらい先の橋を渡った所にある空き地に車を置かせてもらう。一つ目の橋の手前に林道の入口があり、これがきっと浄蓮寺峠に向かう破線路なのだろう。

さらに2回橋を渡るとゲートがあり、その向こうに国有林の境界歩道の入口があった。20mほど先には御代谷林道が分岐している。

国有林のゲート 境界歩道入口、大月権現と表示 林道分岐(右が小川林道)
       国有林のゲート           境界歩道入口、大月権現と表示        林道分岐(右が小川林道)

営林小屋の跡から境界標識が始まる。境界はまっすぐに伸びているが所々に旧道があり、20分(410mH)で下り方向に歩道が分岐した。更に少し先で歩道が分岐した。旧道だと思い右に入ったがだんだん尾根から離れ、そして下りだした。

仕方なく植林の中を30mHほど直登して尾根に戻ると、桧の枝越しに水晶山が望まれた。そして、山頂丘の南の端に乗り、左折して祠のある山頂に着いた。

 大月権現の祠(向きは170°)   七宗大権現の碑
         大月権現の祠(向きは170°)                        七宗大権現の碑

七宗大権現には、1月26日から始まる悩ましい日々に耐える気力を授けて下さるようにお願いした。

御代谷へ下るつもりだったが、適当な歩道が無かったので、来た道を戻り林道分岐に立った。

《小川林道奥の滝》

分岐を右に取り、小川林道を終点まで行った。終点から谷に沿った歩道に入ったが、がらがらの斜面で歩道は見付からない。前を見ると15mほどの滝があり、その右に巻き道らしい踏み跡が見えた。

この踏み跡を辿って、滝の上に出た。腐った桟道を越え、前を見ると次の桟道は絶対に通れない。山側は絶壁、谷側は5・6m下り、10mくらいの岩のガケを登らなければならない。

 林道奥の滝   崩れた桟道
            林道奥の滝                                 崩れた桟道

イバラダワの苦い経験を思い起こし、七宗の山は怖いと撤退を決め、林道分岐に戻った。

《浄蓮寺峠へ》

小川谷の西側にも当然、国有林の境界の切開きがあるだろうと、林道分岐にある歩道入口から尾根に取付いた。出端をくじくような歩道とは名ばかりの踏み跡を注意して登る。

5・60mHほどで尾根に乗ったが、まだまだ急斜面は続いた。でも、境界標識があり、明確な歩道になった。浄蓮寺峠東の540mの尾根の北側(小川の財産区か)にはシャクナゲの群生があった。

境界歩道入口 国有林境界 浄蓮寺峠
       境界歩道入口                 国有林境界                    浄蓮寺峠

そして、2度目の浄蓮寺峠に降り立った。

 峠の石仏(やはり右は観音菩薩に見える)   僧形石仏の背面
      峠の石仏(やはり右は観音菩薩に見える)                     僧形石仏の背面

《七宗林道出合へ》

とにかく、旧道と七宗林道の出合を確認するために西に向かう。地形図にあるように浄蓮寺林道に下る事はなく、500mの等高線に沿って進んで行く。小さな谷を横切ると、電光形に下り、谷の右岸から地形図の表記より少し北で七宗林道に出合った。

何の事はない、歩道入口の標識には、ちゃんと「浄蓮寺峠」と書いてあった。

歩道入口の標示板 中電の標示板 ヤブの峠道
      歩道入口の標示板            中電の標示板(NO33へ)              ヤブの峠道

《峠道古道》

七宗林道出合には愛岐幹線の標示板もあり、多少ヤブぽい箇所もあるが峠まではなんの問題も無い。峠から最初の400mくらいは国有林の境界になっていた。

境界を離れてしばらくすると石塔があり、正面には「浄蓮○」と書かれている。裏側の写真を撮り、道に下りるとき、足元に石仏があるのに初めて気付いた。危うく踏みつけるところだった。この石仏も観音さまのようで、後ろの岩にもたれておられる。起こして裏面を見ようとも思ったが、失礼と思いやめてにした。

 浄蓮寺の石塔   こんな場所にお寺があった??
            浄蓮寺の石塔                          こんな場所にお寺があった??

だんだん下って行き、谷芯が見えて来ると、廃道になった作業道に下りた。が、小川から登ってもこの峠道を見付けることは難しそうだ。更に下ると狭い林道の終点に出合う。

この林道を下ると2・3m下に道が見え、古い峠道だと思いこれを行くが途中で消えてしまった。峠の洞と小川谷の出合を見ると見慣れない石積みが見えた。土留めの為の石積みには見えないので、もしかすると猪囲いの一部かもしれない。

 何の石積み?   小川林道出合
            何の石積み?                              小川林道出合

あとは小川林道に下り、車に戻った。

《浄蓮寺峠について》

本当ならばこの項目には「ぎふこくナビ・美濃の峠」を参照と書けば良いはずだったが、岐阜国道事務所のサーバーの容量の都合で「美濃の峠」は削除されてしまった。あれほどの資料が同事務所のPCに眠っているのは非常に残念だ。
以下の文章は、もしかすると「美濃の峠・浄蓮寺峠」の記載とは矛盾するかもしれない。

浄蓮寺峠の僧形の石仏の裏には「明和五 子 十月○ 小川村 林清右門」(1768年)、峠道途中の石塔の裏には「文化十二年亥年 ○○月吉日 坂の東村願主當村 林常右門」(1815年)となっていて、この峠は主に小川の住人が通ったのだろう。
美濃から飛騨に向かうには通常、袋坂峠越の飛騨街道を通ったようだが、飛騨川右岸にも道は有ったようだ。しかし、橋谷より上流には「犬カヘリ」という地名があり、かなりの難所だったのだろう。
もしかすると新津・野原の人たちもこの峠を通ったのかもしれない。

《感想》

デジタルデータなんぞはメンテナンスしなければ半世紀も保持できないのに、超アナログの碑(いしぶみ)は楽々2・300年も残ることができる。この世界は本当に進歩しているのだろうか。

この暗い年の初めに思う事は、先のことはくよくよ考えず、今日まで過ごせたことに感謝しよう。



美濃一人山名録08大槻山