麻生本谷 七宗町 2009年10月30日 地図は、美濃の山一覧>金山>七宗山詳細地図
9時55分 岩井谷林道の分岐に車を置いた。
両岸から迫る岩のガケを眺めながら、安定した室兼林道を歩いて行く。さすがにこの岩のガケには植林が出来なくて、広葉樹が残っている。
しかし、黄葉にはまだ早い。
中電柱のNTTの電柱名は島小屋となっている。
10時10分 ソラフサガリに着いた。
これは凄い。現在、林道の位置は河床から6・7mHの所にあるのでこの程度だが、江戸時代にはもっと低い位置に桟道が付けてあっただろうから、本当に「空塞がり」に見えただろう。
その少し先に国有林の看板があり、そこで細洞谷が合流しているが、まさに「細洞」の名前にふさわしい入口だ。(ここが国有林の境界)
ソラフサガリ ソラフサガリの淵を覗く 左は本谷、右は細洞谷
10時18分 島小屋に入った。
「峡谷の上流部には平地ができる」。教科書どおりの地形があらわれた。想像していた以上に広く、室兼村の分村があったのだろう。(現在は国有林関係の建物がある)
島小屋入口 島小屋 島小屋
北の斜面には石積みが3・4段あり、本谷の南にもかなりの広さの石積みの個所があった。
10寺35分 ヒゲスリ谷林道の分岐を通過。
10時42分 双子谷の入口を通過。
10時52分 大坂峠と書かれた歩道入口の表示板があった。
ここまでに歩道入口の表示板は7ヶ所にあったが、地名が入っているのは初めてだ。ここを登れば大坂峠という場所に行くのだろう。
10時56分 三つ釜橋(みつがまばし)を渡る。
北側の沢が絵図にある三釜タルだろうかと思ったがどうも違う。足元を見ると本谷はかなりの水量で流れている。橋の下は見えないが、釜が2つは確認できる。
三釜タルは本流にあったんだ。
御手洗が麻生本谷と合流するところが三釜タルだと思う。(2013/5/18追記)
11時3分 佐口谷林道の分岐を通過。
11時6分 谷の分岐点に着く。
室兼林道は鬼面谷に入っている。その右は大那子(おなご・おおなご?)谷、一番右の谷は絵図では大サカと書かれてあるので、この源頭部が大坂峠になるのだろう。
地形図にある破線路を歩こうと、大那子谷の歩道に入った。10分でえん堤があり、地形図では右岸に渡るように見えるが、歩道は左岸の斜面に続いていた。手入れの悪い植林の中を登るが歩道も全く手入れがされていない。
その歩道も消えて尾根状の個所を直登すると歩道に出合ったが、段々下って行く。仕方なく少し上の鞍部に登った。この尾根の向こうには細洞林道があるはずだったが・・・、見えない。
ヘビもいるし、引返そうと思ったが・・・、コブに登ってみると林道を確認した。
12時5分 細洞林道に出合った。
ここでお昼休憩約10分。すぐに現在位置の確認作業に入った。イバラダワが見える、方位250度、少し東で両側の切れた個所を通っている。確定、とりあえず林道の終点まで行くことにした。
12時28分 大坂峠に着いた。
歩道入口の表示板には石作境界となっている。分収林の表示板には
「益田郡七宗町」???、加茂郡だろうと、1人で突っ込んだ。
本谷と石作谷の鞍部は大坂峠、本谷と勝谷の鞍部は鬼越峠となる。
帰りはここから室兼林道に下ろう。
12時45分 林道の終点に着いた。
その手前で、イバラダワの帰りに細洞谷を下り怖くなって引返した尾根を確認。また、s-ngmさんが双子谷から登られた尾根も確認。
細洞林道終点 島小屋 今日は快晴
13時22分 大坂峠から歩道を下って、林道に下りた。
この分収林の歩道はわりと良かった。人様の木々を預かっているのだから、たまには手入れには来ているのだろう。
分収林
13時45分 島小屋に戻って来た。
途中「イケノ平」を探したが分からなかった。それにしても島小屋は広い。
ゲート付近でs-ngmさんに教えて貰った祠を探す。二度三度引返したが見つけられない。電線が岩尾根を越えている場所があり登ってみると祠は鎮座していた。
メールで見た祠はそう古くは見えなかったが、やはり忘れられた神様のようだ。いや本当に、ここに祠がある事を室兼の誰も覚えていないのかもしれない。神拝詞をあげ、祠の中の見ようと思ったが「触らぬ神に崇りなし」。やはりやめにした。
島小屋集落の守り神さま? 真南を向いておられる
14時30分 車に戻った。
以前ここにあった山ノ神は台座を残してなくなっている。どうしたのだろう。
《思う事》
1. 以前、島小屋(山の方)の下山に国有林の境界を下ったがその先はソラフサガリだった。
ソラフサガリの位置が分かっていれば当然避けられたのに。
2. 以前、イバラダワ(細洞)の下山に国有林の境界(細洞谷)を下ったが、本谷との合流点の風景を
見ていれば、当然やめていただろう。
3. 今日の収穫は、大坂峠と言う地名を得た事。ソラフサガリ・シマコヤ・三釜タルを見られた事。
注:本文中の絵図は「七宗御留山境界絵図」をいう。