三国山(美・信・飛)

小和知から望む三国山(中央の白い峰)
小和知から望む三国山(中央の白い峰)

三国山 1610.9m 中津川市(旧加子母村)2006年3月5日  地形図「加子母

ルート地図

【登り:P−20分−ゲート−55分−尾根の

  取付き−15分−境界尾根−20分−山頂】

【下り:山頂−15分−峠−55分−

            ゲート−15分−P】


 
未登1回目の記録

 
《未登2回目の記録》









《三国山について》

三国山(美濃・尾張・三河) 三国山(美濃・三河・信濃 三国ヶ岳(美濃・越前・近江)
    三国山(美濃・尾張・三河)        三国山(美濃・三河・信濃)          三国ヶ岳(美濃・越前・近江)

三国岳(美濃・近江・伊勢) 大日ヶ岳(美濃・飛騨・越前)
   三国岳(美濃・近江・伊勢)         大日ヶ岳(美濃・飛騨・越前)

美濃は尾張・三河・信濃・飛騨・越前・近江・伊勢に接している。その中で三国の名を持つ山は

美濃・尾張・三河(三国山05.03.12)、美濃・三河・信濃(三国山04.01.01)、美濃・信濃・飛騨

(三国山99.07.1004.11.07)、美濃・越前・近江(三国ヶ岳 04.08.14)、美濃・近江・伊勢 

三国岳 99.04.09)の各境にあり、美濃・飛騨・越前の境には大日ヶ岳(05.09.19)がある。

ただ、残念な事に美濃・伊勢・尾張の境は木曽三川の河口であり山地の地形で無いので三国

「山」は存在しない。美濃・信濃・飛騨の三国山は過去2回鞍掛峠から登っているが背丈を

越すササヤブに阻まれ山頂を踏めなかった。今回は美濃を取巻く全ての三国の点をつなぐ為

に残雪期をねらい再再度山頂を目指した。

問題は何所まで車が入れるか。そして、先週の雨で雪が無くなっていないか。

《御厩野へ》

中津川からR257に乗り、旧福岡町に入ると阿寺山地の山は白く見えたが付知の辺りの

里山には雪は全く無く不安になる。しかし、加子母から見える奥山の尾根筋にはかなりの

雪が残っていそうだ。

《鞍掛林道》

御厩野を通り抜け林道には入ると通行止めのトラ柵があったが脇をすり抜けて車を走らせる。

鞍掛林道入口

 舞台峠に通じる林道に出合い、20mほど行くと

 鞍掛林道の入口に着く。ここから歩く事も考えた

 がやはり林道に乗り入れた。落石がかなり有り

 慎重に運転するがこれなら大丈夫と思った落石で

 思い切り腹をこすってしまった。どうにか白草山

 の登山口まで来たがもう少し行こうと欲を出し、

 さらに進む。白草山の登山口から400mほど
 
行った石仏のホコラの先で大きな落石があり、

車を降りてどかして見た。どうにか通れるようになったが上を見上げて考えた。このまま行って

林道の祠帰りに手で動かせない位の落石があったらどうしよう。怖くなってホコラ

の前に駐車したがガケの下なのでさらに100mほど戻って少し広くなっ

た路肩に駐車した。

《山頂へ》

歩き始めるとすぐにガケが有るが、とても手で動かせない落石があり車を置いたのは正解のよう

だ。20分でゲートに着いた。ここからは北斜面になるので薄く積もった雪の下は完全に凍って

いてスッリプしてしまう。峠の手前の九十九折りの道を行くのがイヤで左岸から右岸に越える辺

りの尾根に取付こうと思っていたが堰堤を越えなければならない小和知の集落のであきらめた。

 この先の林道からは御厩野の集落が見えるが、足元は切れ落ち

 ている。峠の手前の最後のヘアピンカーブの所から尾根に取付

 いた。15年生位の桧の植林の中を登って行く。ヤブは抑えら

 れているが、桧は手入れされていないので下枝がやかましい。

 植林を抜けると雪原になり、峠からの尾根に出合う。あれほど

苦しめられたササは完全に雪の下で、尾根には白樺の林があった。尾根芯から少し下った信濃側

の植林の中に大きな赤布が続いているがこれは前回来たときにもあったような気がする。

その赤布も山頂丘が見える辺りで終わっている。私も前回ちょうどこの辺りであきらめたと

思う。山頂丘と見えたのはかなり縁の方で、拝殿山からの稜線との合流点はまだまだ先だった。

山頂丘の東からは白草山が稜線の向こうに現れ全容が見えるようになる。

そして山頂、何と三角点の標石は雪の中から頭を出して出迎えてくれた。

 白樺の林と白草山  三角点
         白樺の林と白草山

《山頂にて》

三角点の西側は長さ6・70m巾20m位の雪原で、谷を挟んだ向こうには小秀山が視界

一杯に広がっている。三回目で受け入れてくれた山頂で一人、大はしゃぎをしていた。

眼下を見てみると美濃側の小和知の集落が見える、と言うことは向こうからも見えるのだ。

御岳はと探してみると植林の大木の隙間から見えてはいるが全容は見えない。

 山頂丘  小秀山
             山頂丘                                   小秀山

《下山、鞍掛峠へ》

拝殿山

ここから拝殿山へ行くのは簡単そうに見えるが、そこから車に向

かって谷に下りるのは難しそうだし、ピストンをする気にはなれ

ない。またの機会という事にしよう。

下山の準備をし、「小秀ヤーイ」と別れの挨拶をすると人の声が

聞こえたような気がした。峠に向かって下って行くと明らかに

「オーイ」と聞こえた。コールを返したがそれっきり返事は無かった。

100mほど下ってもう一度コールしたが何も聞こえなかった。やはり気のせいだったのか?

《鞍掛峠》

鞍掛峠から望む御岳

 三回目の峠は吹き溜まりになっていてかなりの

 積雪がある。信濃側を見るとやはり御岳が峠の

 巾一杯に裾を広げている。昭和37年には御厩野

 林道が開通して峠は林道の通過地点になったよう

 だが、三浦一族は舞台峠から拝殿山・三国山の

 稜線を通り信濃に入ったようだ。確かに、とても

 この谷を遡上できるとは思えない。

(以上は2005年10月30日付け中日新聞・岐阜県版「ぎふ国境物語」より)

林道が開通して尾根道は消えてしまったのだろう。

《車へ》

後は落石を乗り越えたせいで車に異変がない事を祈りながら林道を下って行った。もう二度と

来る事がないと思うと何だか寂しい、と言うより3回も来たことに驚いてしまう。

車は異常なく走り出し、小和知の撮影ポイントへ向かった。

《ナゼだろう》

これで美濃を取り巻くすべての国の国界が交差する地点に足跡を残す事が出来た。しかし、美濃

側の麓の村から見て「ここが三国(さんごく)の境目だ」と主張している三国は時山から見た


三国岳くらいで、あとは馬の背だったり、麓から見えない三国もある。なのに三国という冠を頂

いているのはナゼだろう。



美濃一人山名録06三国山