梨割山 278.2m 加茂郡富加町 2007年9月9日 地形図「岐阜」
【時間】
清水谷川公園8:35−梨割山9:10〜9:20−加治田城跡9:45〜10:10
−絹丸車道出合10:50−龍福寺(踏み跡を探して)11:00〜11:20−清水寺11:45
−清水谷川公園12:00
《9月9日》
今日は北濃の山を予定していた。朝一番で天気予報を見ると美濃地方は曇りで午後からは降水確率が
50%となっている。外を見ても雲が多そうだし出端を挫かれた。
それで午前中に帰ってこられる里山にした。所が車で走っていると空は澄み、とても午後から崩れそうにない。結局本日、郡上市の天気は正午過ぎまで晴れ、以降は曇りでえらく損をしってしまった気がする。
《清水谷川公園にて》
美濃加茂から県道63号に入り関也の信号で左折すると清水寺(きよみずでら)の案内板があり、これに導かれ清水谷川公園に着いた。弘法堂の写真を撮っていると車が一台止まった。
お話しを聞いてみると清水寺で各月の11日に行われる行事を今日行うということで地区の人達が集まると言う。
更に山の事をお聞きすると、加治田城址から絹丸に下る事が出来、龍福寺(りょうふくじ)の鐘楼の横の墓地からは尾根に上がる道があると言う。
ならば山頂から絹丸に下り、龍福寺から登り返して清水寺に下ろう考えた。
また大手門の階段が残っているとも教えてもらった。要所要所には案内板があると言うので安心して歩き始めた。
《梨割山へ》
山門(二天門)前の林道を行くと、えん堤の所で終点になり遊歩道入口は階段になっている。その階段にはハギが茂り、後1ヶ月遅かったら服に引っ付いた種を取るのに苦労しそうだ。
清水谷の左岸に遊歩道は続いていている。最初の分岐を右に曲がると峠に着いた。峠を越す道は川小牧に下り、左は梨割山、右は鉄塔巡視路のようだ。高低差の無い道を行くと右折して階段になる。これを登り切ると山頂の東の肩に出て、西に少しで山頂に到着。
遊歩道入口の階段 梨割山山頂
《加治田城跡へ》
清水谷の分岐まで戻り、沢に沿って行くとすぐに「加治田城跡・近道」の案内板があり、桧の植林の中を登ると尾根に出合った。ここで左折して加治田城跡に立つ。
ここには立派な解説板があり、全文はよっせーさんのページに記載されている。こうした里山も歴史の舞台になった事があると言う事に驚いた。
加治田城跡の解説板 尾根から東海環状道
《絹丸神社へ》
尾根を行くと最初のコブの上にはヤブに埋もれて「龍福寺方面へ」の案内板があったが道は薄く踏み跡程度なので登り口が分かるか不安になり、これを下ろうかとも思ったがやはり大回りする事にした。
尾根から鞍部に下る所には大岩があり展望が得られる。すぐ足元には龍福寺の全景が望まれる。
龍福寺方面への案内板 龍福寺
後は湿っぽい沢沿いの道のクモの巣を払いながら行くがスピードがのってくるとクモの巣を払うタイミングが合わずにつっこんでしまう。耕作が放棄された水田の跡から車道に出て左折し絹丸神社に挨拶に立ち寄った。
絹丸の車道出合 絹丸神社
《龍福寺にて》
清水谷川公園で教えてもらった登り口を探し、鐘楼の東側の墓地から林道の終点まで入ったが見付らない。さらに斜面にある古い墓石の辺りも探したがとても踏み跡があるようには見えずあきらめた。
ちょうど庫裏の辺りに人が見えたので尋ねてみたが「私は留守番で、住職は清水寺に行っている」との事。結局何も分からず車道を通って清水寺の参拝に向かった。
《清水寺》
県指定の文化財「二天門」をくぐり本堂に向かうと読経が聞こえてきた。本堂では見間違ったのか分からないが外に向かって焼香をしているように見え、急いで通り過ぎた。
二天門 十一面観音像の解説板
普通ならば国指定の重要文化財「十一面観音菩薩像」のある仏壇に向いているはずなのに・・・
仕方なく上のお堂まで行き林道に出て、車に戻った。
《「三訂・奥美濃」の事》
先日、大垣山岳協会の公式サイトを見ていて、高木泰夫氏著の「奥美濃・ヤブ山登山のすすめ」の改訂版が出版された事を知った。初版は私の愛読書であり幾度読み返した事か。
早速申し込むと今日(9月10日)楽天から届き、流し読みをする。
最初に気が付くのはソフトカバーになっている。この方が読みやすい。次に、各章の表題の文字がゴッシクになっているが私は明朝のほうが好きだ。
内容の方では国外の山が一部削除されている中で、国内の栗ヶ谷の一文があった。私の知りたい上谷山はなくなり、尾根続きのミノマタになっている。
少し戸惑っているのは「雷倉」の読みがカミナリクラからライクラに変更されている。何所かの山で会った人がライクラと書かれた資料を持っていたのを覚えているが・・・。
さー、読み返そう。今また小川但馬守や長屋信濃守が美濃の地を闊歩し始める。