2008年2月
《きっかけ》
今年の1月4日に七宗町最高点740m峰に行ったが、その記録の中でWEBで見かける「笹ヶタワ」と言う山名をあえて使わなかった。
なぜか。「MIHARUの山歩き」さんが「鉄嶺峠を歩く」で言われる如く「地名は文化であってほしい」との思いがあり、出所の明確でない地名を使いたくなかった。
しかし、「可児からの山歩き」さんが「231笹ヶタワ」の最後に七宗町史についている「七宗御留山境界絵図」に「笹ヶタワ」なる記載があると書かれていて、それをぜひ見てみたいと思った。
人に顧みられないヤブ山の名前と言えども人の営みの証がほしかった。
《七宗役場》
何所に尋ねたら良いのか分からず、とりあえず七宗町役場に問い合わせると予想以上に丁寧な回答をいただいた。
神淵公民館に蔵書あり、土日も開館している。また、町役場も日時さえ連絡すれば土日でも閲覧の便宜を図るとのことだった。(神淵公民館は街道から遠いので町役場でも良いとの配慮だった。)
その配慮に甘えて2月2日の土曜日に閉庁の町役場を尋ねると当直の方に連絡が届いていて閲覧させていただけた。
《七宗町史 史料編 附録「七宗御留山境界絵図」》
七宗町史 史料編 七宗町史附録
406mm×598mmの絵図は神淵川以東、飛騨川以西の範囲で、予想をはるかに超える精度で描かれている。(当然複写、原本は名古屋市博物館蔵)
里人にとって大事な生活の場は尾根ではなく谷にあるらしい。25000分の1の地形図でようやく読めるような小さな谷にも名前がついている。そして、肝心の山名は山の絵の横に記載されている。
「七宗高山ノ内」と記載のある峰はベニヅラ・ムロガ子高ヤ・松尾・笹ガタワ火防・大畑山・丸山・長尾。
これ等の山名を谷の位置等で考え、地形図に当てはめると、簡単な方から
「ムロガ子高ヤ」は麻生本谷と石作谷との位置関係から点名高屋
「松尾」はカチ谷東俣の奥の峰とすると標高点691m
「笹ガタワ火防」はハシ谷の位置関係からしてやはり七宗町最高点740m峰としたい
また山頂に愛宕大権現の石碑がある事からしても「火防」にふさわしい
「大畑山」は勘八(現在は寒八)に下る長い谷の源流と見え、また絵図の東側の境界は現在の七宗町と
白川町の境界と一致していると見えるので、その境界の外に有るとすれば点名熊之島
「長尾」は麻生本谷の分流イワイ谷の次の支谷ホソヲ谷の奥山とすれば標高点601mかその北側のコブ
「丸山」は麻生本谷の源流部の谷に抱かれているイメージからすると点名熊之島の南南西570mの
地点か
「ベニヅラ」は西の境界付近にあるので皆目見当がつかないが標高点638mとした
また、御留山境界内には「七宗高山ノ内」以外に3つの山の絵があり、麻生高ヤ・イバラダワ・丸山(計2つなる)となっている。
「麻生高ヤ」はカチ谷西マタと石作谷の奥の峰とすると標高点692m
「イバラダワ」は点名高屋の東のコブか
2つ目の「丸山」は・・・・・? 特定する作業に飽きてしまった。
調査の記録 丸山・麻生高ヤへリンク ・ ベニヅラ・長尾へリンク
松尾・オク高ヤへリンク ・ イバラダワへリンク
七宗御留山詳細地図へリンク
いずれの峰の位置も独断と思い込みで決めたので、正解かどうかは280年前の山守に聞いてみたい。
そして、境界外にもオク高ヤ・城山が2つ・イヽモリヤマの計4山があり、山の絵がないが山名らしいものには小松ガタハ・天王山・フカダワ・チノタワ等がある。
絵図の解説には水晶山は「七宗高山ノ内」に含まれず、図示もされていないとある。
ただしこれ等の山名は絵図作成の享保10年(西暦1725年)の呼び名であり、近代まで継承したとは思えない、まして現代の人たちが知るはずもない。
とは言ってもこの絵図以外の史料を知らないので、とりあえずこの絵図の呼び名を使おうと思っている。
《七宗町史 史料編 361項 七宗巡山日数多少積》
分厚い史料編のページを繰っていて面白い記録を見つけた、七宗巡山日数多少積。
解説によれば大田代官所の役人等が行う七宗山巡視の経路や日程の見積りで、当時は山域内に道路網が整備されていたと言い、天保初期(1830年〜、絵図との年代の差は約100年)のものという。
(略)
一.石作谷御登山、室兼高屋より室兼御下山、葛屋え御通行葉津御泊
(略)
一.勘八御登山笹ヶたわ、ふった、野口小屋御休、柿ヶ野御泊
一.大崎より御登山太郎治、麻生、高屋、かよう洞え御下山上麻生本郷、下麻生之内御泊
一.御帰陣
一.ひつ洞御登山、常連寺峠より中道通り牧ヶ洞え御下山
一.柿ヶ野御泊
一.柿ヶ野より御登山
一.野田小屋ニて少し内御休、夫より笹がたわ、ふった麻生、高屋御巡山
(以下略)
これ等の記述を山名の位置確認の参考にしようと思ったが、各集落と谷筋とをつなげても時間が読めず、ますます混乱した。
ちなみに、山名らしいものに室兼高屋・笹ヶたわ・ふった(2012/3/16訂正)・太郎治・麻生・高屋・ふった麻生等が散見される。
七宗町史(通史編、史料編) 七宗町教育委員会編さん
注:地名等の表記は絵図と史料編に記載された文字を用いた。
《画像の掲載に関して、名古屋市博物館からの回答》 2008年3月1日追記
「所蔵資料には所蔵権、写真撮影したものには著作権があり、原則として出版物からの転載は認めない」との回答があり、最後に「個人のホームページについてはケースバイケースといったところです」ともあり、
良いのかいけないのかよく分からないが原則禁止を受けて「七宗御留山境界絵図」の画像の掲載はしません。
なお、「七宗巡山日数多少積」の本文の掲載は七宗町の許可を受けています。